2022.03.07
3月7日。天気がいい。あたたかい。早く本当の春になってほしい、とこの時期になるとここ数年は毎年思っている。3月5日の反戦デモ街宣ことを書いておくべきか。べき、とかはない。とわかっているけれど、でもあんまり書くことがないとも思う、けれど、でも、どうなんだろうか。
3月5日。前日に知り合いに「なにか手伝えることがあれば」と連絡をして、そうしたら現場に6時集合だというので、4時に起きて、5時に家を出て、6時に新宿バスタ前の現場に着いて、でも実際あまりやることがなくて、ときどき手を動かしながら、FEVERの西村さんと最近のことなどについて取り止めのない話をしたりしていた。去年の衆院選に向けての「みんなの未来を選ぶためのチェックリスト」という活動で一緒だったFREEUSHIKUの長島さんが起きたら7時半だったといって遅れてやってきて、街宣やデモに関してほとんどプロといってもいい彼女は勝手知ったる様子でてきぱきと動き始め、わたしはそれを見ていたり手伝ったり、そんなことをして、だんだんといろんなひとがやって来て、知ってる顔も増えて来て、挨拶したり世間話したり、そんなこんなしているうちに12時を過ぎてわたしは現場を離れて、店番をしながら配信を見ていた。大友さんが「今日はこれをやりに来ました」といって放ったノイズが、店だしあまり大きな音が出せなかったけど、それでもそこに全部が詰まっていて、琴線に触れた。
当日現場には一万人と300万円の寄付が集まったそう。これはすごいことだ。これを一過性のものにせず先に繋げていくというのはどういうことだろうかと考える。
話は少し変わるけれど、こうした現場でもマチズモとの闘いがある、ということを長島さんと話した。力仕事のときに「男性お願いします」ということになって、女性たちは隅でパッチの安全ピンを付ける役割に自然的に回されたり、プラカードを持つというただそれだけのことでもステージ付近は「声の通るメンズ」というよくわからない号令によって仕分けされそうになったので「あんまり関係ないんじゃないですか」となるべく何でもなさそうに言ってみたら、その場にいた別の男性が「うん、そう思う」と言ってくれて、まぁ確かに、みたいな雰囲気になって、長島さんがあとでそのことを「言ってくれてよかったありがとう」と言ってくれたけどわたしがそれを言えたのは、その前に長島さんとそれについて話をしていて、あぁやっぱりそうだよね、そこで線引きするのは変だよね、ということを自分の中で確認できていたからなのだった。ということをあとになってから思った。知らず知らずのうちに染み付いているそれらについて、気づくこと、声に出してみること、そうすることで少しずつ変わっていったいい。
今朝起きて、ベッドの中で十三月の口座にカンパを送った。坂口恭平さんやマヒトさんが社会運動の資金は持ち出して行われるべきではない、ということをSNSに書いていて、それはこの二年、わたしも本当に思っていることだったから。その行為に対して、なにか思うことがあるのならそれをみんなで支え合えたらいい、そう思う。じゃないと続かないし育っていかない。ということを実感として感じている。振り込みの名前を口座名義(本名)のままにしようか迷ったけれど、メッセージも込めてNozomi Nobodyとして送った。行動を起こしてくれるひとたちがいること、いつもいつも、本当にありがたいと思う。
なんか、散漫で、ぼーっとしていて、ぱきっとしないまま日々が過ぎていて、感情ももう疲れてしまったのか、心がすっかり平坦な感じになっている。
年明けに姉の子どもが産まれて大騒ぎの我が家だったわけだけれど、なんと弟も近く入籍し夏には父になるのらしい。あらあらまあまあ、と思って、なんだか、実感のないまま、へ〜良かったねぇ、という気持ち。相手の女性には以前一度お会いしたけれどとても感じの良い、そしてとてもしっかりした芯のある方だなという印象を持った。
母に「お母さんはますますおばあちゃんになってわたしはますます叔母になるのね」と言ったら「63年生きてきてよかったわ」と返ってきて、そのことをわたしもよかったと思ったけれど、結婚や出産ということを以ってしか母にそう思わせられないのだろうか、だとしたらこれから先わたしが母に同じように「生きてきてよかった」と思わせてあげられることはないのかもしれない、と、ぼんやり考えた。