2022.05.10 わからないまま

きのう、仁士郎君がハンガーストライキを始めたのを知って、わたしはひどく落ち着かない気持ちになって、自分の取るべき行動について考えて、そうして今日、会いに行ってきた。きのうは午後から雨で寒くて、でも今日は天気が良くて、そのことをひとまず良かったと思った。

夕方自民党本部の前に着いて、でも入口付近にそれらしきひとが見当たらず、そのまま歩いて行くと通りの反対側にぱらぱらとひとが立っているのが見えた。横断歩道を渡って行ってみると、その中心に仁士郎君が座っていた。仁士郎君に話しかけるより先に仁士郎君を囲んで立っていた年配のグループのうちのひとりに「いつまでいるの」と声を掛けられて戸惑いながら「いま来たところです」と答えると、署名の挟まったバインダーを渡され、「次に来たひとにまた渡して、わたしたちはもう行くから」と言われた。メガネをかけた小柄の女性だった。

仁士郎君には去年の衆院選のときに一度お会いしていて、そのあとも何かで会ったかも知れないし会っていないかも知れない、オンライン上では同じ場にいたり何度か言葉を交わしたりしたけれど、それくらいだったので、顔を見てもわたしだとはわからないかもな、いずれにしても驚くだろうなと思いながら仁士郎君の顔を見ると、おおよそそんな感じの表情をしていた。

キャンプ用みたいな折りたたみの椅子に座った仁士郎の横に立って、しばらく話をした。途中入れ替わり立ち替わりいろんなひとが来て、仁士郎君に挨拶をしたり署名をしたりして行った。聞きたいことや伝えたいことがいろいろあったけれど、うまく言葉にならなくて、そしてあまり長居をしても疲れさせてしまうかも知れないという気がして、20〜30分で失礼した。

帰り道、昨日から考えていたことをSNSに載せようと思って文章にまとめた。まとまらないまま、あまり自信のないまま載せた。ここにも載せておきます。

——

「復帰50年 辺野古新基地建設の断念を求めるハンガーストライキ」を行っている元山仁士郎さんのところに行ってきました。

きのうは首相官邸前、今日は自民党本部前。明日は公明党本部前だそう。

まとまっていませんが、考えていることを書きます。

仁士郎君とは去年の衆院選のときの「みんなの未来を選ぶためのチェックリスト」という活動で一緒になり、何度かお会いしたり、オンライン上で言葉を交わしたりする機会がありました。

仁士郎君は以前にも辺野古埋め立ての是非を問う県民投票を求めてハンガーストライキを行っていて、そのニュースは印象に残っていました。

美しい辺野古の海が埋め立てられていく事実や、沖縄で起こる米軍による事件や事故に胸を痛めても、それらの問題と自分との間には距離があり、もっとちゃんと自分に引き寄せて考えるにはどうしたらいいのかというようなことを、チェックリストの活動をしながら考えていました。でも会見や街宣や、目の前のことに追われているうちに選挙は終わり、結局そのことについてゆっくり考えることはないまま時間が過ぎました。

選挙後しばらくして読んだ上間陽子さんの『海をあげる』の中に、仁士郎君のハンストのことが書かれていました。それを読んだとき、わたしは元山仁士郎そのひとに直接会う機会があり、沖縄の問題についてもチェックリストの中で触れ、そしてそれについて仁士郎君と話をする機会さえ与えられていた、にも関わらずどれだけ自ら進んでその問題を知ろうとし、向き合おうとしただろうかと自問し、自分を恥じました。

そして沖縄復帰50年を前に二度目のハンストを行う仁士郎君の姿をみて、わたしは再び自分を恥じています。

誰かがTwitterに「わたしは抗議されている、問われている側だ」と書いているのを見てハッとしました。

沖縄の問題は、沖縄のひとびとの問題ではない。本土に住むわたしたちが彼らに押しつけている問題なのだということを、やっと、ちゃんと、今さら、理解しました。

黙認は、加担です。

仁士郎君にこんなことをさせているのはいったい何か。誰か。わたしもその一翼をしっかりと担っていた。本当に情けない想いです。

沖縄のひとたちが背負わされている数多の問題をその外に暮らすわたしたちは見て見ぬふりをして、あるいは知ろうとすらしないで、ときどき出掛けて行ってはその美しい自然や文化など都合の良いところだけを切り取って甘い蜜だけを吸って、そんなふざけた話ってあるだろうか。

仁士郎君のハンストの現場では、辺野古基地建設の即時断念や、普天間飛行場の運用停止などを求める署名も行われていて、change orgからも署名することができます。

https://chng.it/9Sg5pZ7d

本土に住むわたしたちの暮らしが、何の上にたっているのか。このままでいいのか。わたしたちは真剣に受け止め、考えなくてはいけないと思います。

わからない。

考えたい。

朝日新聞と沖縄タイムスの共同企画がとても良かったので貼っておきます。

https://www.asahi.com/special/okinawa/kawaranunegai/

https://www.okinawatimes.co.jp/common/otp/feature/kawarunichijo/

——

たくさんのことがあって、ずっとあって、あり続けていて、そこにさらにたくさんのことが次から次へと起こって、右往左往しているうちに日々に飲まれていって、過ぎていく。それを何度も繰り返している。自分の手で持てるものについて、ずっと考えている。

きのうフユキさんの渋谷PARCO GalleryXでの個展『ゆっくりと届く祈り』最終日に滑り込んできた。とても、とても良かった。作品を見ているうちにタイトルの言葉がゆっくりと体に染み込んできて涙が出た。フユキさんが期日ギリギリになって描き上げてタクシーで会場に運んだとSNSに描いていた大きな作品とそれに添えられた文章を眺めながら「わたしはこのひとの表現を信頼している」ということをその言葉のままに思って、あぁそうか、と思った。ゆっくりゆっくり作品を見た。

作品と一緒に展示されていた手書きのメモに曲の歌詞が書かれたものがいくつかあって、わたしも好きな曲だったから嬉しくて、だけどメロディも声も頭の中に流れているのに誰の曲だったかすぐに思い出せなくて、でも思い出したくて会場を出て歩きながらもしばらく考えていたけれど出てきそうもなくて結局諦めて検索してしまった。そうしてきのうからずっとLana Del ReyのNorman Fucking Rockwell!を聴いている。

午後になってインスタのストーリーに展示の写真を上げたらフユキさんからメッセージが来たので、短く感想を送った。もしかしたら会場で会えるかもと思って、おやつのマフィンをいつもよりひとつ多く作って包んで袋にメッセージを書いて持っていっていたけれど、在廊は午後からだった。会場のスタッフさんに預けようかとも一瞬考えたけれど声をかける気にならず、午後お店の仕事に行って店長にあげた。

今日、展示と同タイトルの“ミニブック”を読んだ。私小説、というのらしい。フユキさんの実体験を元に書かれた作品だった。好きとかそういう好みの範疇を超えて、書き物としてすごい、素晴らしい、と思った。そしてやっぱりフユキさんの表現を信頼している、と思った。フユキさんが紹介してくれて仲良くなった友達がモデルになっていると思われる登場人物が出てきて、会いたくなって連絡をした。明日の夜に会うことになった。

すっかり調子を取り戻したわたしは集中力を持続させていて、せっせと制作に励んでいる。あぁこんな風にして1stも2ndも作ったなと思って、またこんな風に向き合える日が来たことを嬉しく思った。全体像が朧げに見えてきた。

先のことを考えると相変わらず何もわからなくてそれは絶えずわたしを不安にさせるけれど、でもいまはまぁとりあえずいっか、と思える。未来に向けて点を打つ、ということをいつか地元の信頼している友達が言っていた。いま、それをしている。