2022.07.17 日常

日常を、そのペースを取り戻すのに、思ったよりも時間がかかっていて、手こずっている、と感じながらの数日。何かをするエネルギーがなかなか湧いてこず、とりあえず休もうと思い丸二日をAmazonプライムのドラマを観ながら友達が飲み残して置いていったワインやビールを飲み干すことに費やすなどしていたのだけど、きのうはようやくギターを弾いたり歌を歌ったりすることができたのでやっと抜けられそうな兆し。

今朝はキャロットケーキをマフィン型で焼いたけれど、有機のにんじんを使ったらとてもとてもにんじんの青臭い味がして、もう少し砂糖かもしくは蜂蜜を入れたら良かった、そしてもう少し焼き時間を長くすればよかったと思った。コーヒーも少しずつ、また淹れる日々を始めようと思って、そうしているのだけど今朝は飲み切れずタンブラーに残りを入れて、豆乳も少し入れて、家を出てきた。選挙の数日後やっとの思いで仕事に行き、タンブラーに入れたコーヒーを飲んでいたら真っ白いTシャツに派手に溢していて、あぁ世界が心を折に来ている、と思った。フタがちゃんと閉まっているか今日は再三確認。そうして口元がなんだか心許ないような気がしていたらマスクを忘れていた。バッグの中の予備が最後の一枚だったからあとで忘れずに補充しなくてはいけない。

外に出掛けるときにはいつも着けていたバングルがこの一週間ほど行方不明で、外で失くしたのなら家に帰って他のアクセサリーを外すときに気付くだろうからきっと家の中のどこかにあるのだろうと思うけれどなかなかゆっくりあちこちを探す気力が湧かない。しかしないと左手首がすーすーして心許ない。習慣とな本当にすごいんであり、馬鹿にできないとこういうときに思い知る。随分長い間止まったままになっている腕時計を修理に出す良い機会なのかもしれないとも思う。

社会に関わるあれこれの活動(それらの名前が未だにわからない、社会運動、市民運動、という呼び方があまり好きでない)について、いまこうして明らかに自分自身の心身や日常にこれだけの皺寄せが来ていることを思うと、そんなにまでしてやることなんだろうかとか、なんの見返りもないのに、とか、思う。わたしがもし結婚していたり子どもがいたりしたら間違いなく家族にまで皺寄せがいっているはずで、そう思うとこれらのすべてはわたしがいまシングルである程度自由の効く生活をしているからなのではないかという気もする(もちろん両立させているメンバーもたくさん知っているし、そうなればそうなったでどうにかするのだろうとは思うけれど、想像するとまあまあぞっとするんである)。だけどそういうことを考えてみたとき思い浮かぶ解というのはそれらをやめることではなく、それらを「日常」に組み込み、「日常」の一部にしてしまうことなのではないか、ということだった。でもまあ、もうなっているとも言えなくもないけれど。どうなのだろう。何にせよ続けていくことだ、と思う。

それにしても海外ドラマ。観始めてしまうと止められないとわかっているから常々避けてきたのに足を踏み入れてしまった。こういうとき一気に観切ってしまうというのはひとつの解なんであるが、現状シーズン5まで出ており、いままだシーズン3の半ば。悩ましい。わたしの日常。また少しずつこつこつやるしかない。今日はコーヒーを溢さず完飲。