2022.09.26 重力の光

映画『重力の光』を観にイメージフォーラムまで。残りの上映期間中、毎日アフタートークがあり、今日はミル君と町田さんだったのでこの日だ!と思えば、わたしはライブのチケットを取ってしまっており、でもすごく観たいというよりは何となく取っていた、そういうことってあまりないのだけど、そういうチケットで、でもせっかく取ったし映画は別の日に観に行ってひとまずライブかなと後ろ髪引かれながら思っていたら直前にチケットの譲り手が見つかり、滑り込み鑑賞。久しぶりのイメージフォーラム。いつも通りいちばん後ろの席。

とても不思議なつくりの映画だった。構成も光も音も。いろんなものがいろんなふうに交差していた。わたしはクリスチャンではないけれど子どものころは日曜日によく教会に行っていたので、賛美歌とか、懐かしいなぁと思いながら観た。歌詞もメロディーもよく覚えていた。いろんなひとのこと、彼らとの会話とか場面とか、思い出して。

ミル君と町田さんのアフタートークで、スクリーンに映し出されていたいろんなものがぐっと多面的で立体的なものになり、ふたりの話を聴きながらわたしもいろんなことを思い、あぁわたしも一緒に話したいなぁなんて思ったりして、わたしたちの日々には何かについて、結果も結論も求めずにただただそれについて話し合うという機会が圧倒的に足りないのではないか、もっともっとそういう機会を持つべきじゃないか!というようなことを思ったのだった。

町田さんが、かたや路上で名もなく死んでいく命、かたや16億の国葬、変えられようと変えられまいと、理想を、望みを、口にし続けなくてはいけないと言ったこと、ミル君が、わたしたちはこんな世界の中でなにに生きる意味を、よすがを、見出すことが出来るのかと言ったこと(どちらも意訳)、忘れたくないなと思いながらこれを書く。

わたしはまったく関係がないのに上映後のチームの会に当たり前のような顔をしてお邪魔させてもらった。初めて会うひともいたけれど、安心できるひとたちの中に束の間いられただけでも文字通りずいぶん心が安らいだように思う。しんどいことが多過ぎる。しんどくないこと、しんどさを緩和してくれることが少な過ぎる。

明日をどんなふうに、どんな気持ちで過ごせばいいだろうね。オリンピック期間中のように、なるべく離れて、触れないように、そうしていつも通りのふうを装って過ごす、だろうか。わからないな。

乗り換えの駅で、いつかの日のすごく悲しかったこと、雨が降ってたこと、そのあと深夜に電話をしながら帰り道に思わず本当のことがとても自然に口をついたこと、そういうことがふわーっと思い出されて、いつもだったらその気持ちに浸りながら家に帰っているだろうと思うけれど、それさえも飲み込んでしまうほどの憂鬱、圧倒的憂鬱。

ありとあらゆる、力、抗えないほどの力、重力に、引っ張られながら、わたしたちはなにに光を見出してこんな世界で明日からまた生きられるんだろうか。ちょっといま本当にわからないな。

監督にタイトルのことを訊いてみたらよかったな、そしてパンフレットを買いそびれてしまったな。

重力の光、イメージフォーラムでもう何日か。他の地域でも。

https://gravity-and-radiance.com