2023.02.08
もうずいぶん前、二十代のはじめかもしかしたら十代の終わりに確か川崎どこかの駅ビルの雑貨屋さんでふと買った置き時計をずっと使っていて、この間気づくと針が止まっていて、電池を変えなくちゃと思いながら億劫で数日放っておけばまたひとりでに動き出ししかしこれまでにもそういうことはあったので不思議だと思うけれどさほど気にも留めず、しかし止まっているよりも間違った時間で動き続けている方がなんだか気になって針を正しく合わせてキッチンの窓辺の定位置に戻した。のだけれど、なぜか一時間間違えてセットおり、前述とは矛盾するけれど一時間を引けば正しい時間がわかるのでときどきふと小さく混乱することを除けば大きな不便はないのでそのままにして暮らしているこの数日。しかし考えてみれば「正しい時間」なんていうものはほんとうはどこにも存在していないのにも関わらず世界中のほとんどの人類はそれに則って暮らしているのだ不思議なことであるね。しかししかし、しかし。
町田康を少しぶりに読んでいる。わたしがまだ町田康を読んだことがなかったころ、町田康のこの本が好きだと勧めてくれた友人がおりわたしはその本をようやく読んでいて、いま3/4ほど読み終えたところでもちろんいつも通り好きだ面白いすごいものを書くなと思うけれどわたしはやっぱり町田康といえば告白なのであり、この本を真っ先に勧めてくれた彼女がもう一冊勧めてくれたエッセイ集をわたしはずいぶん前に購入して何度かしつこく読もうとしたけれどどうしても読み進めることができずそしてそれはわたしにとっては極めて稀なことで、そのことを思い出す。とても不可解なことだと思う。でも当たり前だとも思う。趣味や嗜好が違うなんてことは。まったく以って。でもやっぱり不可解だと思う、感じる。どうしてわたしの好きなものをみんなは好きじゃなくてどうして彼女の好きなものをわたしは好きじゃないんだろう。彼女は元気だろうか。そうだといい。
時計はいま零時をほんの少し過ぎたところでいつもならベッドに入っている時間だけれど、でも本当は、本当の時間なんてものは本当はないけれどそれでも本当の時間はまだ二十三時だからわたしはまだ起きているのだった。しかしきのうは久しぶりにあまり眠れなかったから今日はあんまり元気が出なかった、から今日は早くにもう寝てしまおうという魂胆。
週明けにはまたスタジオでレコーディングの続き。作品を形にするという行為への純粋な楽しみや高揚よりも、それにまつわるあれこれに係る憂鬱の方が勝ってしまうことがあって、往々にしてあって、今日はちょっとそんな感じで、そういうときはとても切ない気持ちになる。でも、わたし自身がたとえそれらによって身体的精神的なあるいは経済的にどんなにすり減ろうとも、ほんの少しでも一瞬でもいいから、本当のほんとうに輝くなにかを捕まえて閉じ込めてそうして差し出したい、そういうことを思う、いま、思っている。
いろんなことがいまもずっとまだ怖い、しかし、でも、ずっと、いいものを録りたい。