2023.03.27
外へ出掛けて行き近しい友人とほとんど丸一日を一緒に過ごす、ということがたまたま立て続いて、そういうときはあまり日記を書こうという気持ちにならなくてそれは時間の問題もあるかもしれないけれど、たくさん話すとそれですっきりしてしまって文字にしたいという気持ちが代替えされるのかもしれないなと考えた。最近は「◯月◯日 どこどこへ行き誰々と会いなになにがあった」みたいな記録や発表には興味がなくなっており、数年続けていたインスタグラムの観た映画や読んだ本の記録もなんとなくやめてしまった。SNSでの発信にはいよいよ興味がなくなった。ちらちら見てはいるけれどそれもほとんど惰性だなと思う。音楽をやる上で重要なツールだとは思うけれど。まあ、でもそれも、別に、とも思う。まあ、あまり考えていないそれについては、というのが実際だけれど。
きのうそうして一日外で楽しく過ごした帰り道、街頭に照らされた桜の下を歩きながら不在、について考えた。不在の音、音の不在、について書かれた本を読んだけれどそれが誰の何というか本だったかぜんぜん思い出せなかった。最近ふとサニーデイサービスを聴けば「君がいないことは 君がいることだな」という言葉が耳に飛び込んできて、まったくなんという歌詞を書くんだろうと思った。不在によって、その存在をより強く思い知り確認するのだわたしたちは、ということを最近はちょうど考えていた、というか、とても実感していたのだった。不思議なことだな。それってなくして初めて気づく、みたいなことにも通ずるのかもしれない。愚か、勝手、でありますねわたしたちはいつも、
歌がなかなか録りきれずしかしあと少し、あと少し、気合いを入れてなんとか今日終わらせたい。終わらせるぞ、やるぞ、という気持ち。もうすぐ3月も終わりだ