2024.03.18 ピアノ

きのうおとといと湯たんぽなしで眠れたのでオフィシャルに冬が終わったのらしい。だけとカレンダーを見てみればもうすぐ4月だものね、そりゃそうか。

ピアノが部屋に来てからほとんど毎日のように弾いていたらなんとなくわかってきてなんとなく弾けるようになってきた。わたしは4歳からちょうと10年ピアノを習った。小さいころの記憶といえば、思うように弾けないことが悔しくてレッスンでよく泣いていたので、先生が泣かないようにといって包み紙がてるてる坊主になっている飴をくれたことと、ひとりで家にいたときに譜面も見ずに思いつくままにでたらめを弾いてそのことにひどく満足して、帰宅した母に「ピアノ聴こえた?上手だった?大学生が弾いてるかと思った?」と訊いたこと、そしてあとになってあのとき母は困ったような顔をしていたなとふと気がついたこと。いま部屋でピアノを弾いていて思い出すのは、リビングに置かれたピアノを夕食後に弾いているとテレビを観ている姉と弟に揃って「うるさい」と言われてぜんぜん練習させてもらえなかったこと。だけどわたしはべつにピアノが好きではなかった。好きとも嫌いとも、なんとも思っていなかった。でも練習は好きではなかったし文句を言われるからあまりしなかった。そんなだったから中学二年生になって部活が忙しくなったことを理由に習いに行くのを辞めた。すぐ隣の家に住んでいる先生に「今月で終わりにしようと思います」と伝えると「これからも(ピアノを)弾いてね」と言われて、そのこともなんとなく思い出す。そうしてどういうわけか、大人になったわたしはピアノという楽器がとても好きになり、なんて美しい楽器なんだろうと思う。だから実家のリビングで誰にも弾かれずに鎮座しているピアノをいつか引き取って、そうしてそれが叶ったらもう一度ちゃんと練習して弾けるようになりたいと、もう何年も思ってきたのだった。そうしてだけど、こうしていま弾いてみればやっぱり指はちゃんといろいろなことを覚えているようで、あぁあの日々もあの時間もここに繋がっているのだというようなことを否応なしに感じたりもして、だからつまり、良かったなと思うのだった。まだ形にならない曲の断片が3つあり、そのうちのひとつはピアノの曲になったらいいなそうしたいなと思っている。歌詞を、少しずつじっくりゆっくり書いているのだけど、結局やっぱりわたしは形を変えながら同じことを繰り返し何度も何度も歌っているのだなということを思う。そしてそれがどういうことなのか、というのは言葉にするのはなんとなく野暮なような気がするからしない。でも、音楽が好きだな、ということをここにきてなんだかじんわりと、思う。機材に対する欲求がほとんどなかったわたしだけれど、最近急にアンプやエフェクターやついには新しいギターまで欲しくなってきてしまってそしてそれというのはちょっと楽しくて、これからまだまだ、続いていくのだなと、そういうことを思う。