2025.02.15
なんだかひどく眠くなる日が数日おきに訪れるここ最近。しばらくうちに滞在している同居人の友人が、わたしの作る焼き菓子をひどく喜んでくれる(彼女はペスカタリアンで小麦アレルギーだから日頃の選択肢がとても少ないことも大きいよう)のでわたしははりきってほとんど毎日何かしらを焼いており、当然自分も食べるのでちょっと糖質過多と食べ過ぎなのかもしれないたぶんきっとそうだろう、満月や低気圧もあるかもしれないけれど。しかし彼女は明日旅立つそうなので明日以降またしばらくは節制しよう、と思う、ひどい眠気の夜10時。
相変わらず変な夢ばかり見ていて、今朝のは特に変だった。中学のとき同じ部活だったが特に仲良くもなく思い出すこともなかった友達が出てきて、なにか決定的な指摘を受ける(でもその言葉はもう忘れてしまった)、そして彼女の紹介で出会ったわたしの隣に座っている目のとても綺麗なひとは実は妖怪というかエイリアンというか未知の生物でさらに身体に障がいがあり家族の事情も複雑でわたしはひどく同情する、そのひと(というか生物)の口からしゅーっと伸びる白く細い触覚のようなものがうねうねと動いているその様子だけがやけに記憶に残っている
最近はめっきりSNSを見ることが減り、デスクに向かって仕事をする時間も減ったのでいつも仕事中に聞いていたニュースのポッドキャストを聴く機会も減り、そうなってくると時事にあっという間に疎くなってしまいそのバランスというか新しい付き合い方をまだ見つけられていないのだけれど、伊藤詩織さんのBlack Box Daiariesについて海外で散々評価を受けていながら日本での公開が未定、という件について。大手映画館はともかくコントロバーシャルな映画を多く上映しているミニシアターでの公開もないということにうっすらと違和感と疑問を持っていたのだけれど、その理由を先ほど小川たまかさんのニュースレターで初めて知ったのだった。小川さんの文章を読み、その中で「一読推奨」と書かれ引用もされたいたハフポストの記事を読み、それから久しぶりにXを開いて「伊藤詩織」と検索していくつかの意見や記事などを読んだ。何しろさっき知ったばかりなのでわたしがここで詳細にことの経緯や自分の意見を書いたりすることはしないというか出来ないのだけれど、それにしても。またか、またなのか、そうか、そうなのか、というのが率直な気持ち。何かしらのより良い世界を求めて、目的とある種の正義を共有するひとたちが共に闘いしかし結局そこにも対立・分断が生まれてその果てに泥沼的結末を迎える、その様をまた見せられている。より良い世界を求めていたのではないのですか、踏まれて傷ついているひとたちのために闘っていたのではないのですか、その“正義”、大義名分を盾に結局より弱い立場のひとを踏みつけ傷つけるのですか、その行為になんの正当性があるのですか、とわたしは思う。もううんざり。心底疲れる。事の是非について今現在わたしにはあれこれ言えないけれど、一連の裁判をともに闘ってきた元代理人の弁護士さんたちの気持ちを思うとなんともやり切れない。どんな結末に向かっていくのだろうな
なんとなく、持ち物を整理したくなっていて、長らく箱に仕舞い込んだまましかし愛着があり手放せなかったCDをほとんどすべて手放すことにした。自分で買ったCDはもちろん友人知人のCDやサンプル音源などもたくさんあり、整理しながらいろいろの懐かしさを感じるなどしながらだけどもう今回で手放すぞ、と心に決めて手元に残るのはたぶん10枚くらい。それに比べたらあまりというかほとんど減らなかったけれど本も少しだけ整理。新しい単行本などはフリマアプリで数冊売って、そのお金でまたべつの本を買うなど。気に入っていたけれどもう着ないなと思う古着のコートを一着、似合いそうな歳下の友達に送り、それ以外のもう出番のなさそうな服たちをどうしようかなーと考えることもう一年以上。古着を引き取って循環させてくれる団体に送るのが良いと思っているのだけど、途上国で大量に捨てられ問題になっている古着の山なんかを見てしまうと果たして、と思ってしまいなかなか踏ん切りがつかない。自分の行為に本当の本当に責任を持つということはこの世界では本当の本当に難しい。ありとあらゆることに関して。
いちばん寒い時期はもう過ぎたのだろうか、朝晩の冷えもやわらぎ今日のとても天気もよく昼間は春の服装でとても気持ちよく過ごした。でもまたきっと寒がが戻るのだろうな。きのうは月がとても綺麗で明るかった。二月、二月。日々を模索しながらの日々が続いている、曲を少しずつ、本当に少しずつ作っている、わからないことはわからないままでいいのだと、自分に言い聞かせながら、なるべく瞬間しゅんかんに意識を向けて暮らしている、二月、二月。