2025.12.23
いろんなことを、べつにわたしのせいではないと思う、ほとんどのことは外的要因なのではないか、わたしの思考も行動も外側からのちからによってかたち作られているのではないか、そしてそれはたぶん多くの場合正しい、だけど重要なのはそのうえで自分がなにを選ぶかということで。さまざまの現実が、そこにある、ここにある、ということを、認識し理解しそして受け入れ、そのうえで「じゃあ明日から、いまから、どうする?」を自分で意思を持って選択する、そのことだってもちろん酷だなと思ったりもする、し、選択肢を与えられない場合もやはりあるだろう
そういうことを、何年か前、母との関係について考えていたときにはじめて思ったのだよなーということを思い出す(un/baredに書いた)。わたしはちゃんと、自分の意思で、選べているだろうか、流されているだけではないだろうか、選ぶことから逃げてはいないだろうか、どうなのだろうね
おとといは長い一日だったのできのうは少しゆっくり起きて午前中はゆっくりして、午後は集中してやることをやり、夕方は買い物に出てストック系のものをあれこれ買い込みすっかり重たくなった買い物袋を持って帰宅、パスタはときどき作るのだけどすぐできるという理由でだいたいいつもペペロンチーノ、でもきのうはトマトソースが食べたくてでもぐつぐつ煮込む気概がなかったので瓶詰めのを買ってきて、家で野菜とソイミートと一緒に火にかけて、そして久しぶりバランタインの瓶を買ってきて、ちびちび飲みながら観ようみようと思っていた映画を観ながら食べた。じんわり苦しい映画だった、こんなことばっかりだな、という気持ちになった。少し酔いが回ったような気がしたけどすぐに過ぎたので遅い時間にほんの少しだけ散歩に行き、川沿いの道を歩いた。音楽を聴きたかったけどスマホを持っていかないほうが良い気がしたのでめずらしくイヤフォンなしで歩いた、だけど当たり前に自分がなにかを歌うのでああそうか音楽はどっちにしたってあるのだ、と思ったのだった
なんかあんまりいろんなことをめきめきしゃきしゃきやる気持ちが湧いてこなくて、すこし疲れているのかもしれない。年末だしね、あまりてこ入れせずにゆっくり過ごそう、足の先がすっかり冷えており眠たい、いくつかの連絡を、こちらからすべきかただ待つべきか決めかねて、ぼんやりしているわ