2025.06.09
朝。10時20分。きのうは一日家でやるべきことを割にちゃきちゃきとやった。やれば出来る。久しぶりにピラティスをしてじんわり汗までかいた。ゆっくりお風呂に入り、玄米の甘酒を作る(近所の業務スーパーで大袋の米麹がとても安かった)。この家には炊飯器があるので、いつもオーブンで1時間ごとにダイアルを巻き直して作っていた甘酒を、寝る前に炊飯器に入れて保温設定しておくと朝には勝手に出来上がっているのだった。祖母が使っていた炊飯器の裏側を見てみれば99年製と書かれていたのでわたしは感心した。
今朝は後悔について考えていた。後悔。いくらでもある、というか、そればかりがある。やった後悔よりやらなかった後悔なんてよく言うけれど、やっぱり“ほんとうでない選択”をしてしまったときの後悔というのがずっとずっといつまでも消えない火のようにくすぶり続けているように思う。でも過ぎたことをいつまでも考えていたってどうしようもないしうじうじしていて嫌だなもうやめたいなやめよう他のこと考えようとか思っていたのだけど、ふと、べつに後悔したっていいんじゃない、と思ったのだった。そりゃ後悔は少ないに越したことはないだろうとは思うけれど、後悔をすること自体はいたって自然なことではないか、大事なのは後悔している自分を受け入れることなのではないか、そしてなるべくなるべく、ほんとうの選択をそれのみをし続けることを試み続けること、そういうことなのではないか、ということをさっきコーヒーを淹れながら思った。
大切なものやひとをぼろぼろと指の間から腕の隙間からあるいはポケットからバッグから、落としてきた、それはそれはもう、ほんとうにたくさん、そのなかにはたぶん本当の本当に大切にすべきものもあったんだろう。たくさんのチャンスやご縁もあったんだろう、自分が傷ついてきたのと同じくらいあるいはそれ以上に傷つけてもきたんだろう、でも仕方がない。しかたがない。どうしようもない。
なにも、いまも、ひとつもぜーんぜん、うまく出来るようにはならないなってない、でも仕方がない。しかたがない、どうしようもない。つづいていく日々を生きるよりほかに。