2026.06.12
なんとなくずっと元気がでないなあ、といった感じのままずるずると生きている今週。しかし思ってみれば先月のライブからずっとあちこちあれこればたばたしていたのでそういえばそうだった、と思い、まあ今週一週間くらいはゆっくりしてもいいだろう、と思うことにして、だらだらずるずる生きている。怠惰。
きのうは来客があったので、一緒に餃子をつつんで焼いて食べた。まだ調布に住んでいたころ、友達が遊びにきたときに餃子を焼いたらひどくうまく焼けたことがあって、餃子なんてほとんど作ったことがないのに(好きだけどひとりだと面倒だから)なぜか完璧に焼けて、だから今回もうまくいくかなと思ったけれど、きのうはまあ、悪くはない、くらいの、65点くらいだった。鉄のフライパンをどの程度余熱したらいいのか、その加減がいまだにわからない。経験あるのみ。しかし当たり前においしくて欲張ってぱくぱく食べた。はち切れそうになるまで。最近はもうあんまりお酒もいらないのだけど、餃子だとやっぱり飲みたくなって少しだけビールも飲んだ。遅い時間に一緒に駅まで歩いて見送って、その帰りにコンビニでオレンジジュースとハイボールを買った。家に着くまでにオレンジジュースをあっという間に飲みほして、帰ってからベランダでハイボールを開けて、それから煙草を一本吸った。全然おいしくないなーと思いながら吸った。だけど煙草の火は真っ赤で小さくて綺麗で、iPhoneで写真を撮った。
今日は夕方久しぶりに散歩に出る。空が薄茜色で、とてもきれいだった。写真を撮って送りたいなと思ったけどiPhoneは置いてきていたので思っただけ。いろんなこと、ほとんどのことはだけどただ思うばっかりで、その思いはさらさら流れていくばっかりで、そういうって切ない。土手を歩きながら、日曜日のヒデさんとのライブのリハーサルを土曜日の夕方にやって、そのあと近くの居酒屋で軽くごはんを食べたときに悲しみを音楽にすることについてヒデさんと話した、ときのことをなんとなく思い出していた。悲しみは、ほんの少しそれを過ぎてから、ちょっと距離をもって客観的に見られるようになってから曲にする、そうして曲にすることでさらにもう一歩踏み込んで消化し、昇華することができる、そういうことを話した。それにしてもヒデさんがわたしの書く歌詞が暗い暗いと言うので、わたしはそれがうれしかった。英詞が多いからか歌詞を一生懸命に聴いてコメントをしてくれるひとは少ないのだ。ヒデさんとのライブは、本番のモニターがなんだかうまくいかなくて気になってしまって、だけどそれでも気持ちを奮い立たせて、ヒデさんのピアノと自分の歌に、湧いてくる熱に任せてなんとか歌った、そういうライブだったから翌日まですっかり落ち込んでいたのだけど、録音を聴いたら思ったよりもちゃんと歌えていたので心底ほっとした。よかった。ヒデさんの演奏はとてもとても美しくて素晴らしくて、MCでも悲しみについて話していて、悲しみと美しさはとてもよく似ている、というようなことを言った、それをそのまま体現するような、そういう演奏だった。ああいうピアノを弾き、ああいう曲を書くひとがわたしに声をかけてくれるというのは本当に不思議なことだ。その不思議さを、尊さを、有り難さを、喜びを、わたしはちゃんと感受しなくてはいけない。そういうことを思う。
胸が、ずーっとしくしくしている。なにかを手にするということは、いずれそれを失う恐怖や不安も同時に引き受けることなのだという、ありふれたことを、なんだか急に、ものすごく突きつけられている。みんなどうしているのだろう。と思うけれど、べつにどうもしていないよね。遅かれ早かれくるであろうそのときがしかしいまではない、あしたではない、という楽観でもってみんな生きているのだよね、だってそうじゃなかったらやっていられないし。とか思いながら久しぶりに異国日記をぱらぱら読めば槙生ちゃんが「失うとわかっていてもなお愛するようなこと」とか言うので、わたしはほとんど息をのむような気持ちで。