2025.06.21 ほんの少しだけ良い自分に

不在者投票の申し込みを今月の頭にしていて、だいぶ余裕があるからと思い安心し切っていたらきのうになってそういえばまだ封書が届いていないことに気がついて慌てて選管に電話をしたら月曜日には発送していますが郵便局に戻ってきてるみたいですね、不在票入っていなかったですか、と言われ、ポストなんてまったく見ていなかったことに気づき再配達依頼をしたらすぐに来てくれたけれど、金曜日の夕方、役所は既に閉まっており土日はもちろん休み。結局投票日当日の明日、地元に行くことにした。都合のつく日でよかった。どうにもこういうところがある。しかしこれも経験、勉強、と思うことにする。

次の終末にはなんと弟の結婚式というイベントが控えており、そのために姉と姉の子どもが週半ばに上京するのでわたしもしばらく一緒に実家で過ごすつもりにしている。賑やかな時間になるんだろうな、それにしても弟の結婚式というものがいったいどんなものなのか想像もつかない。それは実際的な意味で内容などをほぼ聞かされていないのでどんなものなのかわからないというのもあるけれど、自分が果たしていったいどんな気持ちになるだろうかというのがまったく想像がつかない、ということで。わたしはそもそも結婚式というものにあまり興味がなく(なくなった、最早ない、という方が正確かもしれない)特にいわゆる披露宴、みたいな形式的なものには少し苦手意識がある。もちろん友人知人のそうした場に呼ばれていけば楽しいし感動もするし素敵だなと思い祝福に満ちた気持ちにもなるのだけれども、弟のそれというのは、なんだか不思議な、とても奇妙な感じがするのだった。白けた気持ちになってしまうのが最も悪い、でも父や弟のスピーチなどがあるらしいので(何を話すのか想像もつかない本当に)泣いちゃったりするんだろうか、それならそれでというかそれが良いのだろうけど。どうなのだろうな。わたしは最近はめっきり弟に対してなんとも言えない気持ちというか、諦めに似た気持ちを抱いているところだから、そのせいもあるのかもしれない。いやいま書いていて気づいたけれど、白けた気持ちになってしまうのが最も悪いのはなぜかといえば、その場の空気に自分が入り込めなかったらどうしようと、そのことを怖れているからだたぶん。それはその場に馴染めない自分の孤独に対する恐怖ではなく、純粋純白な気持ちで祝福できない自分自身への弟に対する罪悪感。まあでも、もしそうなったらそれはもうまったくそういうことでしかないので仕方がない。もしそうなったら姉という役割に徹すればいいのだ。どうせ誰も見ていないのだし。でも案外感動してばかみたいにぼろぼろ泣いちゃうのかもしれない、そんな気もする。わからない。考えるのやめよう。暑くなりそうだなあ

プールに行って黙々と泳ぎ、断食をし、久しぶりに走りにも行き(ようやく新しい靴を買った、いろいろ探して探して吟味した結果allbirdsというブランドのもの、履きやすさや機能性も大事なのだけどなによりエシカルな靴を選びたかった)、筋トレやストレッチもいつもより多めにやり、めきめきと肉体強化月間。体を動かしているとやっぱり精神的な振れ幅が小さくなって安定するように思う。そういうのって当たり前なのかもしれないけれど、それを実際に体感するのは心地のいいことだ。当面は続けるつもりで。

7月8月と夏の間のことも少しずつ輪郭が見えてきて、いろんなことを、自分で決めて、自分でやるのだ、9月には旅立ちたいと思っているのでそのこともそろそろ具体的に決めなくてはいけない。決めるという行為にはその後伴う行動そのものよりもよっぽどエネルギーが要るとつねづね思っているけれど、えいっという気持ちで飛び込んでいかなくてはいけない。あぁなんか、以前わたしはいつもずっとこんな具合だったな、こんなようなことをいつもいつも書いていたな、といま思う、自分が元々どんな人間だったかということが最近少しずつ思い出されるようになってきた。べつに戻りたいとか戻った方がいいとか思わないけれど、でもなんか、ズレてしまった部分があるのならそこは軌道を修正したい、し、たぶんだんだんされていくのだろう、という気持ちでみている。

「ほんの少しだけ良い自分になる」

この間道を歩いていてふとiPhoneに残したメモ。