2023.04.02
きのうは気の済むまでベッドの中でぐずぐずぬくぬくしてお布団の中の幸せを噛み締めてからえいっと起き出して、天気がいいのであちこちの窓を開けて周りお布団を干し、寝具をぽいぽいぽいっと洗濯機に放り込み、にんじんと八朔でスムージーを作って飲んで、それからパンケーキを焼いて、蜂蜜がもうなくなりそうでああ足りないかもしれないと思ったけれどぴったり一回分でちょうどなくなって、ふわふわとした柔らかい風がさーっと部屋のこっちからあっちに抜けていくのがあまりに心地よく目を閉じて椅子の背もたれにもたれて、そんなふうにしてゆっくりゆっくりコーヒーを飲んだ。友達たちとお花見の約束をしていたけれどなくなって、しかしとても天気が良く絶好のお花見日和だったなぁと思って、手持ち無沙汰でどうしようかなと思って今週はなんだかばたばたしていたし今日は少しゆっくりしようと思い湯船にお湯を張る。二十歳前後のころに、男女三人で海に出掛けて行きしかしそのうちのひとりが溺れて死んでしまうという筋書きの小説を読んで、それを最近なんとなく思い出していて、わたしはそれを村上龍の『遠く離れてそばにいて』だと記憶していたので何日か前に引っ張り出して来て読んでみればまったくぜんぜん違う本で、あれではわたしが思っていたのはどの本だっただろうか、と考えて思い当たったのが本多孝好だった。本多孝好の文庫本をわたしは四冊持っており、それらはすべて二十歳前後のころに付き合っていたひとが好きで薦めてくれ、借りて読み、お別れしたときに返さなくていいと言われたのでその後もずっとわたしの本棚にあるのだった。四冊のうちどれだろうかと思いそれぞれをぱらぱらとめくってみるがそれっぽいものがなく、とりあえず一冊を選びお風呂の中で読んでみる、ああこんなの読んだなと、村上龍の遠く離れてそばにいての内容は読んでみてもほとんど覚えていなくてその覚えていなさに驚いたけれど、本多孝好はほとんどを朧げながらも覚えていた、しかし男女三人が海に出掛けて行きひとりが死ぬ話ではなかった。たぶん文体のイメージ的に本多孝好でもなさそうな気がする。案外村上春樹とかなんだろうか。読み終えてとても好きだなぁと思った、そのことだけを覚えているのだけど。
そうして長々とひたひたになるまで湯船に浸かり、ゆっくりストレッチをするなどして、窓の外には川沿いのたくさんの緑、菜の花の黄色、桜の薄ピンク、空の青、雲の白が見えており、風がまたふわふわそよそよと通り抜けあまりに気持ちがいいのでその気持ちよさの中で一日を無為に過ごすのも良いような気持ちになったけれど、いや今日は外に出ようとなんとなく決意をして、着替えて、自転車で20分ほどのところにある大きな公園に向かった。大通りをひたすらにまっすぐ行く。自転車を漕いでいるだけで気持ちがよく、途中にはあちこちに桜が咲いており、通りかかった川沿いには立派な枝垂れ桜が何本かありたくさんのひとがお花見をしていた。そうしてわたしは公園の近くのカフェでコーヒーとおやつを買って、公園をぶらぶらと歩き桜を見て、しかしそんなことをしていればだんだんといろんな考えごとに捉われてどんどんと心許ない気持ちになって行き、色々の買い物を済ませて暗くなって家に帰り着くころには午前中の晴れやかな気持ちは跡形もなく消え去りすっかり重たく暗いこころになっていた。来ると思って待っていた連絡はついぞ来ないし、ああこういうときはもうどうしようもないと思って仕方がないのでノートを開いて歌詞を書いた。何ページも書いた。これは歌になりそうだなしたいなと思った。そうしてまた当てずっぽうにギターを弾いて歌を歌って、そうしたら少しだけましな気分になって、そうしてそのうちにベッドに入った。なんか変な、よくわからない一日を過ごしてしまった。相も変わらずどころかますます自分に振り回されている。いつまで経ってもちっとも上手くできない、なにをしているのかよくわからなくなる。桜はしかし、それはそれは綺麗であった。