2023.05.01
撮影のための準備に奔走した日々であった。街に出て歩き回りいくつも店を周り、永らく使っていなかった筋力を使えば当たり前のように筋肉痛になり(比喩)くたくたになって早々とベッドに入り眠ってまた翌日同じことを繰り返す、というようなあんばいだった。しかしどうにかきのう一式を揃えて(信じられないほどたくさんのお金を使った、過日のスタジオ仕事のギャランティはすべてここに消えるよう)様々な意味で息も絶え絶え、しかし二日間の断食を無事に完遂しすっかり輪郭のはっきりした顔を鏡に写して、買い揃えてきた新しい化粧品を次々開けてそれらを皮膚の上で順番に試してみればだんだんと純粋な楽しい気持ちがむくむくと湧き上がってきて、にこやかな気持ちになったのだった。
自分のための撮影はもう本当に久しぶりのことで、あれは加計呂麻に行く前だからもう4年前ということになるんだろうか。夏だったはずだから、もうすぐで5年になるのかもしれない。きのう買ってきたばかりの服を来て鏡の前に立って自分の姿をじーっと眺めて、こんなふうに自分の顔や身体と向かい合うのも本当に久しぶりのことだと気づいて、そうしてそのときに「自分で自分の美しさを知ることだ」という言葉が身体の中からふっと湧いてきて、わたしはその言葉を受け止めながらさらに自分のことをじっと見た。
今日はこれから深夜に出発して撮影の予定だからさっき仮眠をしようとベッドに入ったけれどへんてこな時間だったから結局一睡も出来ず、しかし体は休めただろう、薄暗い部屋の中で冴えた目を凝らして、出来ることはやった、そう思えることが大事だ、と思った、そうして精一杯やろう、と思った。そうしてそのつぎに今度は「わたしはわたしを精一杯愛そう」と言葉にしてそう思ったのだった。そんなことを思ったのはたぶん生まれて初めてのことで、この、こんな気持ちがわたしの中の一体どこからやって来たんだろうと驚いて、眠れないまま身体を縮めてぎゅっと目を閉じた。
良いものを撮りたい。良いものを作りたい。精一杯やろう。