2023.05.03 内省ばかり

友人に「あなたの言葉はすごく内省しているひとの言葉だ」というようなことを言われたので、しばらく内省について考えていた。まっさきに思い浮かんだのは、コロナ禍以降書き溜めてきたこの日記というか日々の記録というか(それすなわち世に言う日記、であるね)つまりここに書き連ねられている言葉のことだった。この間久しぶりにコロナ1年目に書いていた文章のいくつかを読み返してみたらあれなんかいまと感じが違うな、と思って、そのときどきで文体や言葉使いやいろいろが変わるのはまあ自然なことであるけれども、いまよりも文章そのものが拙いように感じた。そうしてああわたしは何年間か書き続けてきて書くということにおいてももしかしたら少し上達したのかもしれない、しかし続けるというのは概してそういうものか、となんとなく納得したのだった。それで、あれこれを書くことというのはわたしにとっては内省に近いというか限りなく同義のことであるからつまりは内省が上達したのかもしれないと思ったのだった。加えてわたしはノートにも日々思ったことを書き連ねているし、un/baredでも文章を書くし(あれはまさに内省)、もちろん歌詞も書くので(歌詞は内省以外のなにものでもない)、あれということはわたしは四六時中内省ばかりしているのではないかもしかして、と思い至ったのだった。

きのうは千葉の某所で早朝に撮影、無地に終えて家に帰ってもまだ10時半とかそんなで、行き帰りの車で少し眠っただけだったので(大澤さんが行きも帰りも運転をしてくれた、本当に頭が上がらない、たくさんのひとに助けてもらっている)ひとまず寝ようと思いベッドに入って目を閉じれば起きたときには夕方だった。たっぷり眠った、と思ったけれどなんだかあんまり元気が出なくて、何もする気にならないしなんか映画でも観ようかな音楽の映画がいいなと思って目に留まった『Tick, tick… BOOM!』を観た。主演のアンドリュー・ガーフィールドといえばわたしの中では『わたしを離さないで』なのだけど(彼のスパイダーマンは観たことがない)、久しぶりに観たなと思った。原作のジョナサン・ラーソンは35歳で亡くなったのらしい。この間なにかの記事でJudee Sillのドキュメンタリーが最近リリースされていたことを知って(いまのところ日本公開はないよう、観たい、とても)その記事を読んでいれば彼女も35歳で亡くなったのだったということを思い出して、そんなことすっかり忘れていたけれどいつの間にかわたしはJudee Sillの亡くなった年齢になったのか、とぼんやり思ったのだった。わたしは誕生日が10月だから、35で死ぬとしたらあと5ヶ月しかない。あと5ヶ月のうちに死ぬということがどういうことか想像してみようとするけれどまったくうまくいかない。Judee Sillはどんな気持ちだっただろうか(ということを書いたのが『Judee』という曲)。映画、日本でも公開されてほしいな。

断食を三日前に終えたけれど固形物を食べたい気持ちが戻らず、仕方がないのでスムージーとか豆乳ヨーグルトとか、豆腐で作ったムースとか、そんなものばかりを食べている。金曜日には少し実家に帰るのでそのときまでには食べられるようにしておきたいのだけれど。あまり気の進まない誘いになんとなく無理して乗り気なふうを装って快諾してしまっていたのだけど(そういうことはだいぶ減ったけれどいまもときどきある)やっぱり断ろうと起き抜けに思った今朝。なんと言って断るのがいいだろうかと考えているけど、あんまり気が進まないと正直に伝えてみようかなーとぼんやり思うけれどどうだろう。わたしはそれを伝えられるくらいに相手を信頼しているんだろうか。明日もきのうほどではないが早起きをして撮影。明日が終わればひとまずひと山、だろうか、と思うけれどまあでもずっといろいろあるね。明日の撮影のイメージをしながらわたしはもう何年もあまりにいい子過ぎたのではないか、いろんなひとの聴かなくていい言葉までなんでもかんでも聴き過ぎてしまった、と思って、明日の撮影は自由でありたい、誰にも否定されたくないし、誰のことも否定したくない、と思った。