2024.03.06
とかいって全然日記を書かないまま3月も6日。iPhoneは新しいものを買ったけれどだからつまりは全然そういうことではないのだった。
天気が安定せず寒かったり暑いくらいだったりからっと晴れたりびしゃびしゃと降ったり、そんななのでわたしもすっきりしていたりうじうじしていたり、浮き沈み。今日は日中めずらしくまったく食欲がなく、朝も昼もほとんどなにも食べる気にならなかったのでこれはもう夜も抜きかなと思っていたら意外と食べられそうな気配を感じたので、かぼちゃとカリフラワーでポタージュと、たっぷりのきのことほうれん草とトマトとブロッコリーを入れてキッシュを作っておいしく食べた。キッシュは本当はちゃんとパイ生地なりタルト生地なりを敷いて作った方がおいしいのだけどそれは今日は飛ばしてしまった。なくてももちろん十分おいしいのだけど。いつか自由が丘のパイとタルトのお店で食べたキッシュが美味しかったな。ということを、思い出した。当時付き合っていたひとと、昼にそのお店に行くかなんだったか忘れたけど別の、たしかなにかおいしい甘味を食べられるお店に行くか迷った末にパイとタルトのそのお店に行って、キッシュを食べてそれからデザートに甘いパイだかタルトだかを食べてお腹いっぱいになったときにわたしがふと「じゃあ〇〇を食べに(もうひとつのお店に)行こうか」と言うとひどく驚いていた、冗談だよと言って笑うと「そういう冗談言うひとだっけ」と言ってなおも驚いていた、そういうなんでもない記憶。今度時間があるときに生地もこねてまた焼こう。ヴィーガンのチーズまで作れたらにじゅうまる。
久しぶりにまりちゃんから連絡があり、週末あさじとゆうみちゃんが国立でライブをやるから一緒に行かないかとの誘い。とても行きたかった。まりちゃんとは去年の夏に会おう会おうと言っていたのに家の用事やレコーディングやで結局会えないまま引っ越してきてしまいしかもそのまま連絡もしないままだったのでずっと手紙を書こう書こうと思いながらしかしそれもしないまま今日まできてしまい、だからそんなことをあれこれ書いて返事を送れば、そういうところ良いと思う、と言ってくれてあぁまりちゃん、とわたしは思った。
例えばわたしはいまになってようやくやっぱり自分はひと、つまり自身が属する社会に生きる多くの人々とはどうやら少し違うのかもしれない違うのらしいみたいなことに気づきはじめた感じはじめた、といった具合で、だけど思い返してみれば「違うもの」として扱われる場面というのは大なり小なりたくさんあった、それに違和を感じつつもその本質に気が付かなかっただけで。それは例えば「意外だね」とか「すごいね」「えらいね」とか、なんかそういう言葉だったりしたわけで、今回ふーっとこちらに来てしまったことについてもそういうふうに言うひとというのはいて、わたしはそういう一言ひとことに傷つきこそしないもののやっぱりなんというか、うむ、というか、うう、というか思うのだけれど、でもまりちゃんはそういうこととは全然違うところからわたしを見て受け入れてくれるから、そしてそれはこれまでもずっとそうだった、だからまりちゃんは会う頻度こそ多くはないけれどわたしにとってずっと大切なひとなのだった、ということをしみじみ思い返した。ゆうみちゃんとあさじのライブに一緒に行きたかったな。ふたりの歌も久しぶりに聴きたかった。みんな、妻になり母になった。わたしをのぞいて。まあ、わたしみたいな、こういう人生もある、ときどき、という、ただそれだけのこと、なのでしょうね思うに。少しずつ新しい曲を作っている。