2024.05.31
今日は雨。フラットな気持ちだけれどどちらかと言うとやや憂鬱、といった具合。ここにいると日々の境目が曖昧だから時間の感覚もぼんやりとして、気づくと時間がたっていていつがいつのことなのかよくわからなくなる。でも東京の川沿いで一人で暮らしていたときもそうだったと言えばそうだったのかもしれない。あの川沿いの道が懐かしいな。夕暮れがとても綺麗だった。
きのうの夜、珍しく買い物にでも行くか、ということになり(この辺りは本当になにもないので夜どこか行くにしても大きな商業施設くらいしかない、十代や二十代の子たちはどこでどんな風にして遊んでいるんだろうか、そりゃみんな東京に行きたくなるわけだ、という気持ちを初めて知る)何というわけでもないけどあれやこれやをかごにぽいぽいと入れ、わたしは久しぶりにワインを買って、家に帰ってちびちび飲みながら部屋で映画を観た。最近は音楽関連のドキュメンタリーをよく観る。なんとなく元気が出る。
そんなわけで気付けば今日は金曜で、5月の最終日なのらしい。東京から戻ってから、つまり今週はずっと早起き出来ていたのに今朝はスマホの充電が切れていてアラームが鳴らなくてずいぶん寝坊してしまった。朝早く起きると朝にギターが弾けるから良い。気になっていたアンプを買った。まだあまり大きな音は出していないんだけど、クリーンが綺麗に出て良い感じのように思う。相変わらず曲は曲になりそうでならない。またライブがしたいな。そろそろ誰かから誘いが来ないかなと思ってるんだけど。
何となく会いたいなと思っているひとがいて、最近はほとんどひとに会いたいみたいな気持ちも湧かないので、そのうち連絡を取ってみるのも良いかなと思ったりしながらそのひとのブログをときどき読んでいる。でも本当は逆で、ブログを読んでいるから会いたくなるのかな、そうかもしれない。タイミングというのは、どうなのだろうね、なんか、自分でそれを作ろう作ろうとばかりしてきたように思うけれど、でもそれはどちらかというと与えられるものなのではないか、という気がする、でもそれというのは結局作ろう作ろうとしたその結果回り回って与えられるもの、とも思う。まぁ、結局こじつけというか結果論なのだけど。
世の中は相変わらず。ラファについてのAI生成画像が議論を呼んでおり、わたしはそれについて思い考えることがもちろんあったけれどその議論には参加はしなかった。そしてわたしはそのポストもしなかった。理由はうまく言語か出来ないけれど、BLMのあの真っ黒の投稿をしなかった理由ときっと同じなのだろうと思う。なんとなく自分の中で釈然としない、噛み合わないというか、違和がある。これは何だろう。でもどちらの気持ちも、投稿するひとの気持ちもそれについて苦言を呈するひとの気持ちも、わかるよ、とも思う。そしてわかりたいとも思う。全体的に辛く苦しく憂鬱だが、わたしにはそれについて忘れる瞬間を持つという特権がある、その特権に対して罪悪感を抱く必要はないが自覚する必要はある。