2022.02.08 帰京、帰宅。

丸々一週間を和歌山の姉の家で過ごした。誰も来ない集落のいちばん外れ、段々畑を見下ろす里山の上に立った古い平屋、鳥の声とときどき強く吹く風の音だけが聴こえる静かな場所で、生まれたての赤ん坊と二匹の猫、東京から手伝いにやって来たわたしたちの母。あまりに居心地が良く、めずらしく帰りたくないなという気持ちになった。

きのうはちょうど一ヶ月検診の日だったので、病院までは車で一時間以上、そしてその前に役所に行ってあれこれの手続きがあるといって姉と姉のパートナーは赤子を連れて昼前に家を出て行った。風もなくあたたかくてとてもいい天気の中、畑の間の細くくねった道を降っていく軽バンを手を振り見送った。

出かける前に家族写真を撮ろうといって、わたしのフィルムカメラで家の前に立った三人を撮ろうとしたけれど、おくるみでぐるぐるにされた赤ん坊を上手に写すのは難しく、試行錯誤をして家の前の石段の上から撮るなどした。記念になる大切な写真だからちゃんと写っていなかったらどうしよう、一応iPhoneでも撮っておけばよかったかな、とあとで思ったけれど、きっと大丈夫な気がしている。別れ際、姉がわたしに「のんちゃんいろいろ本当にありがとう」と言った。その響きがあまりに新鮮だったので、姉からこんな風にお礼を言われたのは初めてなのではないかという気がした。そして家に帰ってから改めて記憶を探ってみたけれど、たぶんやっぱり初めてのような気がした。

わたしは去年おととしと久しぶりに姉と生活を共にする時間が続いて、ちっとも上手くやれなくてそれが本当にしんどくなってしまった。わたしたちは仲の良い姉妹だし、彼女のことをとても近しく当たり前に大切に思っている一方で、あまり近づき過ぎないないように距離を保って、自分がこれ以上傷つかないようにしなくていけない、という気持ちも強くなっていた。それでも彼女の子どもが産まれることを聞いて、ほとんど自然の成り行きとして和歌山に行くことを決め、だけどやっぱり、産後の大変な時期にわざわざ行ってまで喧嘩したらどうしよう、なるべく当たり障りなく過ごすように気をつけなくちゃ、という想いは心の反対側にしっかりとあった。でも蓋を開けてみれば、なんとも穏やかな優しい空気に包まれた一週間だったように思う。口を開けばわたしを非難するようなことばかり言ってきた彼女だったけれど、今回は一度もそれがなかった、ということにきのう家に帰ってから気がついた。産後まだ身体が戻らずすっかり満身創痍なことに加え、夜な夜な泣く赤ん坊におっぱいをあげてほとんどまともに眠れていない彼女に、その余裕がなかったということはまぁあるかもしれないけれど、でも小さな小さな娘に接する姉はこれまでに見たことのない顔をしており、話しかける声も言葉も、これまでに聴いたことのない姉のそれだった。ついこの間まで存在していなかったまったく新しい生命を自らの体内から産み落とすという圧倒的な経験を経て、彼女にも大きな変化があっただろうことは想像に難くなく、目に見えてきのうと今日とで姿形を変えるその新しい生命と一緒に、彼女もこれから毎日まいにち学び気づき変わっていくのだろう、ということを思った。

彼らを見送ったわたしと母は少しのんびりしてからもう一台の軽バンに乗り込み、ここ数日ですっかり運転にこなれたペーパードライバーの母が途中郵便局やスーパーで用事を済ませながら、バス停まで送ってくれた。「じゃあまた東京でね」と母が言い軽いハグをして、わたしはなんだか少しセンチメンタルな気持ちになって、そういう自分を面白い気持ちで眺めた。バスが来るまでは少し時間があったのでバス停近く、港の目の前にある足湯につかりながらぼんやり海を眺めて時間を潰した。

地方の小さな空港の何もなさには毎度いちいち驚いてしまうのだけど、南紀白浜というその空港にはお土産物を売っているスペースがあるだけでコンビニやキオスクさえなく、わたしはまたいちいち驚いた。レンタカーの案内かなにかと思われるカウンターの向こうの暗がりに忘れられたようにグランドピアノが置かれており、和歌山に到着した日、わたしはその存在にまったく気づかなかったのだけれど、バスを待っている間に突然大きな音で音楽が流れ始め驚いて目をやると黒いダウンジャケットを着た細身の男性がそのピアノを弾いていたのだった。実家にいたとき父がときどき見ていたBSかなにかの番組で、海外のどこかの駅に置いてあるピアノを演奏するひとたちのドキュメンタリーを思い出して、あぁこれがあの、と思った。最近仕事でピアノの曲を作ったところだったから、その曲をとても控えめな演奏で少しだけ弾いた。デモを作るときにあれだけ何度も何度も弾いたのに数週間のうちにもうところどころ忘れていて、それでも指はなんとなく新しいメロディーの方に流れていったりして、やっぱりピアノをもう一度もう少しちゃんと弾きたいなと思った。近くの小学校のピアノが寄贈されたのだと小さな立て看板に書かれていた。YAMAHAのピアノだった。

そうしてあっという間に飛行機は東京に着いて、わたしはすっかりくたびれて半ば体を引きずるようにして家に帰り、ひとりで少しだけビールを飲んで、久しぶりに自分のベッドで朝まで一度も目覚めることなくぐっすり眠った。毎晩赤ん坊の夜泣きに目を覚まし、姉を手伝って抱っこしたりミルクをあげたりおむつを変えたりしていたついきのうまでのことが、一瞬でこんなにも遠くのことになってしまうその時間や距離の不思議にいつもわたしはとても戸惑ってしまう。

わたしはまた今日から少しずつ日常を生きるけれど、それでもすべての時間も場所も、ぜんぶ地続きで確かに繋がって存在しているのだよな、ということを、思う。たくさん撮ったフィルムの写真を早く現像に出して、姉に送ってあげよう。