2022.08.17
雨。涼しい。が、雨の日はまるで気力が湧かない。こういう日は大抵のことを気圧のせいにしてしまう。きのうの夜は暑さのせいか久しぶりに深夜目が覚めて眠れなくなってしまって、そのせいもあるかもしれない。毎朝やっているヨガを今日はスキップ。各地で大雨、たくさんの被害が出ているよう。国葬や統一教会あれこれとか、ニュースが相変わらず留まるところを知らず次から次へと出てくるけれど、最近はそれらについて考えたりまして発信したりするエネルギーもちっとも湧かないのだった。
きのう、仕事で歌入れ。乃木坂まで。六本木とかあの辺りの界隈というのは、わたしが最も用がないと感じる場所のひとつだけれど最近は仕事でちょこちょこ行っている。きのうはスタジオを出て一息つこうと思い近くのカフェに入りアフォガードを注文すると「お飲みものはよろしいですか」と訊かれ、たいそう困惑した。店内がなんだか騒がしく、夕方風があり涼しかったのでテラスの席に座った。一緒に頼んだバナナケーキもアフォガードと一緒にするすると体に吸い込みあっという間に食べ終えて、少し歩こうという気持ちになって、六本木の駅をぐるっと回って乃木坂の駅に戻って電車に乗った。途中通りかかって六本木の蔦谷に初めて入ったけれど、なんだか体に馴染まずものすごい早さで出てしまった。本屋は本屋でもやっぱり店によって全然違うのだ、当たり前だけれど。
部屋の植物がひとつ枯れてしまい鉢が空いていたので新しいのを買いたくて、帰り途中の駅で降りて観葉植物の店により、ひとつ選んだ。この間のは植え替えを失敗していたのかもしれない。と今になって思って、今回は慎重に植え替えた。うまく根付くと良いのだけど。
そうしてあちこちふらふらしていたらなんかお腹が空くし、なにか食べたくて、家に帰って食べたらいいのだけど、でもどこかに座ってビールを飲んでそして本を読みたいと思って、イタリアンのお店でなにかトマト系のパスタかなと考えながらそのお店のある駅の周りをぐるぐる歩いたけれどちっともイタリアンのお店がなくて、なんとなく目についたお蕎麦屋さんにすーっと入って、でも入ってからしまった全然お蕎麦食べたくなかったということに気付いて、メニューを何度眺めても見てもちっとも食べたいと思うものがなくすっかり途方にくれてしまった。だけど座っておしぼりもお水も出してもらって、それからお店を出るわけにもいかなくて、目に留まったお茶塩月見蕎麦というのと、それから瓶ビールを頼んだ。注文した後に店内の壁に貼ってある季節限定と思われる手書きのメニューに梅おろしじゃこのお蕎麦を見つけて、そっちにすればよかったなと思った。お茶塩月見蕎麦はお汁がお茶という、初めて食べるお蕎麦だった。お抹茶みたいな少し渋みのある緑茶だった。久しぶりに卵を食べた。麺を少なめにしてもらったけれどそれでもお腹がずいぶんいっぱいになって、しかし驚いたことに御膳には小さな小鉢にもられた白ごはんがついていて、揚げ玉が乗っていたからきっとこのお茶のお汁をかけてお茶漬けみたいにして食べるんだろうと思って、それを美味しそうだと思ったけれど、欲張って食べたら気持ちが悪くなるだろうと思ったから手を付けずにそのまま残してしまった。御膳にはメロンもついていて、それはいただいた。
きのうは朝、バナナとパイナップルでスムージーを作って飲んで、それからなんだかパンケーキが食べたい気持ちになってブルーベリーのパンケーキを焼いて食べて、そうして家を出ていたので、きのうはそれからアフォガードとバナナケーキとお蕎麦、というほとんど炭水化物と糖質しか摂っていない一日になってしまった。こういう日、わたしはなんだか一日が上手くやれなかったような気持ちになって無性にしょんぼりしてしまうのだった。
この間青山ブックセンターに行ったとき、何冊かの本を選んでレジに持って行きお会計をするときになってそこに平積みされていた芥川賞受賞作がぱっと目に入って、例えばスーパーやコンビニでレジの横にあるちっとも食べたくないお菓子をなぜだか手に取って一緒に買ってしまうような、そういう感覚で、その、『おいしいごはんが食べられますように』という単行本を、きっとわたしは好きじゃないと肌でわかっていたのに、「おいしいごはん」と書いてあるから良くないわけがないという変な言い訳のような考えが一瞬頭を過って、そうしてそれを手に取って「これもお願いします」と言って一緒に買ってしまって、読み初めてすぐにあぁやっぱり、と思って、でも最後まで読み切って、ある意味で面白くはあったけれどやはりわたしの好きな文体ではなく、というかぜんぜんおいしいごはんの話じゃなかったなと思って、なんとなくしょんぼりした気分になった。そしてそれは、きのうわたしが一日のごはんをちょうどよく食べられなかったあとに感じたしょんぼりと、とても近しいものだったかもしれない、ということをいまふと思う。つくづくわたしは食べるということに縛られている、ほとんど呪いのよう。良くも悪くも。