2022.08.21
山のように作ったラタトゥイユが何日か前ついになくなって、なにが食べたいかなとしばらく考えて、かぼちゃが浮かんで、久しぶりにポタージュを作った。外国のポタージュみたいにしたくてナツメグを多めに入れた。あ、入れ過ぎたかもと思ったけれど、少し時間が経ったらちょうどいいあんばい。とても美味しい。濃い濃い黄色がとても綺麗。生命を感じる、なんとなく。シナモンとジンジャー、ココナッツを入れたスコーンを焼いて一緒に食べたら夢のよう。いつか隠居したら焼き菓子とスープの店をやることをまた夢想する。
この間資源ごみの日に段ボールを捨てに行ったら、紐で束ねた文庫本がどかっと捨てられていて、気になってタイトルを見てみたら吉本ばななの『アムリタ』上下巻と、あとはほとんど村上春樹とそれから何冊か森見登美彦。アムリタは読んだことがなかったからそれらと、弟の本棚から借りて読んで自分では持っていなかった村上春樹何冊か、そしてそういえば読んだことがない『夜は短し歩けよ乙女』を紐からほどいてもらって帰った。そうしてこの数日でアムリタを一気に読んだ。無数にある言葉の中から「自分のための言葉」に出逢う悦びを思った。わたしはあろうことかその言葉を巻末の解説の引用内に発見して、あれ、と思って当たりをつけたところをペラペラめくり直して眺めてみたけれど見つけられなかった。でも、だから、解説があってよかった、と思った。
この一週間ほどなんだか無性に人恋しいような、めずらしくとても寂しい気持ちになって、本当にめずらしいことにいろんなひとに自ら連絡をしてしまった。でも結局誰とも会わなかった。きのう、なんかそれでぐーっとなって、あやばいかも、と思ったけれどごまかしごまかし、甘いものを食べてワインを飲んで料理をして映画を観てゆっくり湯船に浸かってストレッチをして、そんなふうにしていたらようやく自分が中心に戻ってきたような感じがして、夜はゆっくりギターを弾いてからベッドに入った。何だったのだろうな。大概のことは結局いつもひとりでどうにかやり過ごすしかないけれど、そのときさえ越えてしまえばどうにか、どうにかはなる。
そろそろどこかに行かないと呼吸困難な様相なので、月末にちょっと出掛けようかなと考えている。しっかりしなくちゃ、と思ったりもするけれど、でもやっぱりしっかりしなくても生きていける方法を見つけたいな、と思う。