2022.10.15 思い出す

寝起き。空気がちょうどよく冷えている。きききっと、聴き慣れない鳥の声がした、いま。身体がこわばっている、が、すぐにストレッチをする気持ちにならないのでなにか書いてみようかなという思惑。

最近よくいろんなことを思い出すなーと最近思っていたのだけど、でもそうだとするならばいろんなことを思い出すようになる前はいまそれらを思い出すことに充てられている時間や脳の働きはなにに使われていたのだろう、つまり思い出すという行為の代わりになにを思ったり考えていたのだろうと思ったのだけれど、何ひとつ思い浮かばなくて、もしかしたらわたしはこれまでもずっといつもいろんなことを思い出しながら生きてきたのかもしれない、と思った。

そう思えばわたしは未来や現在よりも過去について考えたり思ったりすることに多くの時間を費やしているということになるわけで、それということの意味するところについて考える。過去だけがある意味では具体性と確実性を持って存在しているから思考しやすいのかあるいはわたしが過去にとらわれた後ろ向きな人間だからか?ふだんなに考えてる?と誰かに訊いてみたいけれど、こういうのって誰に訊いたらいいかわからない。

思い出あるいは記憶、そのあり方というのはなんとなく不思議というか掴みどころがなくって、うんやっぱり不思議よね、なんか。ふっと、浮かんでくるんだよね。でもそれはいつだって記憶の全体ではなくごくごく一部、誰かが言ったひと事、そのときの表情、口もと、とか、光というか影の感じとか、なんかそんなのばっかり。でも同じことを何度も思い出していると、記憶そのものは薄れていってもそれを思い出している自分を覚えているようになって、なんかこう記憶が入れ子みたいになっていくのだった。小さい頃の記憶なんかはそう。例えば千葉の祖母の家でみんな(もしくは祖母と母)で食事の準備をしていたとき、わたしがとことこと台所に入っていこうとしたときに母が味噌汁のお椀を持って出てきたのにぶつかりわたしは味噌汁を全身に浴びた、わたしは子どものころそのことをしつこく覚えていた、根に持っていたのだろうかわからない、でもいまはもうそのときのことは思い出せない、覚えていた思い出していた自分のことだけを覚えている。

でもよく考えたら思い出せないことというのも、その事象なりひとなり思い出せない対象の存在は憶えているのだから、ある意味では憶えていることになるよね

早くまたレコーディングがしたくて、どうしたらそれが出来るのか、考えている。Every Blueはいくつかのプレイリストに入ったおかげで、これまでのリリースに比べると再生されているよう、きのう久しぶりに過去の作品を聴いてみたけれどいま聴いてもやっぱり良く出来ていると思った、だけど再生回数はだいたい千とか2千とかで、Every Blueは数日であっという間に千回だから、なんか、それがいいことなのかどうなのかというのはなんとも言えない感じの気持ちになる。でもわたしは、淡々と、作りたいものを作る、それしかやっぱりないと思う、知らんけど、でもだから、次の作品のことを考える。