2024.02.24 “I’m not living, I’m just killing time.”

どうしてこんな簡単なことも出来ないのだろうこのひとは、わたしは、と思う、思っている、そういう自分をいまだ発見する。出来ることもあれば出来ないこともあるそれぞれに当たり前に、と頭では理解しているしだいぶ身体にも染み込んできたと思ってはいるけれど、まだまだ根深い。べつに出来なくたって全然いいじゃん、と思うのに。

日記をなるべく毎日、と書いた矢先にiPhoneが壊れたのでなかなか。書きたいことはいろいろたくさんあるのだが。べつにパソコンで書いたっていいんだけど、でもしかし日記というのは思い立ったときふとしたときに書くものであってさあ書くぞといってパソコンをわざわざ開いて書くものではない、なんてことはもちろんないんだけど、いまの自分のモードがそうというだけ。しかしだから壊れたiPhoneでもどうにか日記くらい書けるのではないか、ということを試してみるという試み。しかし流石に勝手に再起動をし続けるスマートフォンにうんざりしてきたというか普通に不便なのでそろそろ新しいものを買わなくてはいけない。率直に面倒。

天気が安定せず気温差も激しいせいか何となく気分も安定しない。暗く重いほうに気持ちが向きがち。いやべつにそれはいつもか、とこういうとき思ってしまうけど、どうなのでしょうね。なんか、大概のことがいまはもはや無意味に思える。目の前に広がる無限の空白。あれ、それでどうするんだっけ、とわたしは思う、けど、わからない。どうしようもない。こういうとき、音楽もそのほかのなにもかも、結局その空白を埋めるためのただそれだけの行為のように思えて、そうなってくるとなんだかもうすっかり白けた空虚な気持ちになるのだった。まぁでも他方では少なくともその空白を埋める術があって本当に良かったね良かったよということでもあるのだけど。しかしさ、人生というものに対してなにかを強く望んだり希望てきなものを持ったりしているひとたちにとっては、あれこれ言ってる暇があったら黙ってさっさとやることやれよという話でもあろうけれども、わたしのようにそもそも生きるということに対して積極的になれない人間というのはどうしたものでしょうね、結局逃げてんのか、と思うけど、でもべつに逃げてなにが悪いとも思うし、自分がなにを望んでいたのかいるのかあるいはいないのか、ふとわからなくなるなあこんな世界から切り離されたような場所で暮らして、それはわたしが自ら選んだことではあるがそれは果たして積極的な選択だったのか消去法ではなかったか、みたいな考えがふと視界をかすめて足元がぐらぐら揺れる。みたいなことを今日は午前中久しぶりに少し晴れ間が出たので慌てて洗った洗濯物たちを干しながらぼんやり思った。今日はとても長い時間休みもせずにピアノを弾いたらとてもくたびれた。ピアノって弾くと疲れるんだな、と思った。