2026.05.30 無事かどうかはべつとして

ライブが終わって余韻にひたる間もなくバタバタしてそのままベトナムに行き、ベトナムから帰って性懲りもなくまたバタバタして、そうして今日でようやく波が去った。帰ってきたのは水曜日なのにまだ荷ほどき終わってないよ

ベトナムはとても楽しかった。汗腺という汗腺から汗をかいた。こんなところからも汗が出るのか、と思ってびっくりした。まぶたとか、目のしたとか。気づいたらそこもここも濡れているので。なんだか関心してしまうほどだった。

一日目はクラクション鳴り響くハノイの街をひたすらに歩き回り、二日目からは車で南に数時間走った山のなかの小さな町、プーロンとマイチャウにそれぞれ二日ずつ滞在した。ちょうど稲刈りの時期で、稲刈りをする地元のひとたちの姿や、文字通り黄金色に輝く一面の稲穂をみることができた。いつもどおりほとんど下調べをせずに出かけて行ったわけだけれど、とてもいい時期にいい場所に行くことができた。よかった。最後二日、マイチャウでは原付を借りてあちこちを走り回った。生まれてはじめて原付を運転した。貸しバイク屋さんの若いお兄さんに乗り方を教えてと言ったら「え、運転したことないの?マジで?無理無理ダメダメ!ベリーベリーデンジャラス!!」と言われてあやうく貸してもらえないところだった。わたしは「いつも車は運転しているし、アイルビーベリーケアフル!!大丈夫!!プリーズ!!」と言って食い下がり、乗り方を教えてもらったあとじゃあこっちを運転してみろ、あっちまで走ってみろ、それで俺が大丈夫だと判断したら貸してやる、ということでどうにかテストをパスして貸してもらった。24時間で150VND。日本円で900円。安い。そうして実際、ふだん車だったら調子にのって飛ばしまくってしまうような人気のない広い道さえもわりと気をつけて運転していたのに、最後の最後でなにか血迷って砂利の敷かれた細い坂道を行こうとしてしまい、これがよくなかった。せめてスピードに乗っていてまっすぐ行っていればまだよかったものの、一度止まって道を確認して方向転換しながら発進、傾斜、砂利、という条件が揃ってしまっていた。完全に経験とスキルが足りず当たり前にスリップ&転倒。近くのお店から同い年くらいの女性があわてて出てきてバイクを起こすのを手伝ってくれた。心配というより「やれやれ」という感じの顔をしていた。大したことはなかったけれど気に入っていたズボンは泥だらけの穴だらけになり、左膝は傷だらけのアザだらけになった。バイクは無事だったけれど(幸いもともと傷だらけだった)サイドミラーのネジが緩んだのか取れたのかふにゃふにゃになってしまい、風に煽られてぜんぜん角度を保てなくなってしまった。まじか〜いて〜まじか〜とぶつぶつ言いながらそれでも残りの道をぶいーんと進み、興味はないけど一応行ってみるか、と思って最終目的地にしていた寺院に着くも、果てしない階段が連なっており即座に断念。見られるところだけぐるっと一周して、ベンチに座って少し休ませてもらって水を飲み膝に絆創膏を貼って、神様ありがとうお邪魔しました、と心のなかで呟いて、ふたたび気をつけながら町に戻る。

宿泊先近くのカフェに行き、テラス席に座る。一面の田畑、そして山。西陽がきれい。風が吹く。お昼ごはんを食べていなかったのでとてもお腹が空いていた。でもふつうに一食頼むとものすごい量が出てきてしまうことを前日の経験から学んでいたので、スムージー(自分で組み合わせを選べる、マンゴーとアボカドとココナッツ、天才的においしかった)とフルーツの盛り合わせを注文してしばらくゆっくりしてからバイクを返しに向かう。「だから言ったじゃん!デンジャラスなんだって!!」と絶対言われるだろうなあ嫌だなあでも平謝りするしかないよなあ嫌だなあとたいそう憂鬱だったのだが、店先には誰もおらず、しばらく待っても誰がくる様子もなかったので、少し多めのお金とバイクを置いて立ち去った。

そうしてそんな日のあとにハノイに戻り、夜遅い便で飛び立ち朝に成田に到着したのだった。ハードスケジュール。そうして帰ったその日から仕事を入れていたわたしは自分を過信していた完全に。しかし結局乗り切ってしまうのでまあきっとまたやるのかもしれない。わたしの人生はずっとそんなふう。

そうしてばたばたばたばた、今日は土曜日。膝のあざは色が濃くなり見るも無惨、洞窟で転んで強打した腰はまだ痛いし、虫に刺されたところもまだしつこくずっとかゆい。そしてなによりずっと眠い。明日の午前中は時間があるので残りの荷物の片付けをぜんぶ終わらせよう。バックパックもきれいにしよう。フィルムを現像に出そう。

旅とはいったいなんであるか、ということを、考えていた。写真の現像があがってきたらゆっくり振り返りながら文章を書いたりして、なにか形にのこすのもいいな、なんて気持ちにちょっとなって。