2022.03.13
ここ数日の間、いろんな方の体験や言葉を読み、信田さよ子さんと上間陽子さんの『言葉を失ったあとで』を読みながら性暴力について考えていました。
わかったことは、「え、わたしめちゃくちゃ被害にあってるじゃん」ということでした。自分が性暴力の被害者だなんて、これまでただの一度も考えたことがなかった。
石川優実さんが内閣府のサイトに載っている性暴力の定義をブログに載せていました。
「望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります」
例えば好きでもないひとにいきなり身体を触られたりキスされたり、嫌だやめてと言っても聞き入れられなかったり。そんなことは一度や二度の話ではありません。しかもそのほとんどの場合において、相手は信頼していた友人知人でした。
二十代前半、仕事関係のひとに食事に誘われて、店を出て歩いているとホテルの前に着いていたという経験はわたしにもある。父と同い年のひとだった。
いま思うと、そういうことがある度に、わたしはわたしの中に小さな絶望を積もらせてきたのだと思います。
いろんなことを思い出しました。あぁあのとき本当は嫌だったなとか、拒否することを諦めてたなとか、本当は全然大丈夫じゃなかったなとか、そういうことに気が付きました。そしてそういう体験のひとつひとつがどれだけわたしの言葉を奪い、わたしの深いところに無力感を植え付けてきたかということに気が付きました。結構、唖然とする想いでいます。
でもこれってたぶん、全然特別なことなんかではなく、いたるところで当たり前のように起こっていることなんだと思います。残念ながら。
変えていくために、なにが出来るか考えています。
いろんな方の言葉を読みながら、わたしたちはわたしたち自身のために言葉を獲得し、語っていく必要があると感じました。だからわたしも自分の体験を書いてみようと思いました。想像以上に、書き切れないほどたくさんのことが次から次へと出てきて、そしてそれらと向き合うのは想像以上に堪える作業でした。まだしばらく時間がかかりそうです。でも、そのうちちゃんと自分自身のために、そしてわたしたちのために、言葉にできたらいいと思っています。
同時に、いま声を上げているひとたち、苦しい想いをしているひとたちをひとりにしてはいけないと思っています。ここに連帯の意と心からの敬意を表明します。
誰ひとりとして尊厳を奪われない世界を強く強く、望んでいます。
Nozomi Nobody