2022.05.01
5月。島から帰ってきて「調子がいい!」なんて浮かれていれば、きのうは一日苛立つことがあり帰って少し酒を飲むなどすれば今朝は10時半までベッドから出られないというていたらく。だけど東京に住うということはそういうことなのだ。
元気出ないなーというとき、ほんの少しだけ香水を着ける。自分を鼓舞する意味を込めて。たまたまもらった、小さな瓶に入った、特別好きな香りではないけれど、いいにおいだな、と思う、それ。
二十歳過ぎに付き合っていた男の子が、あれはフェティシズムだったのかわからないが、香りにこだわりのあるひとだった。女の子の可愛さは香りで三割り増しになる、というようなことをふざけて言っていた。彼は実際とてもいい香りの香水を着けていて、わたしはその香りがとても好きだった。カルバン・クラインだった気がするけど違うかも知れない。黒いマットな瓶だった。自転車で二人乗りをして、後ろの荷台からいい匂い、と言ったのか思っただけだったか、そんな記憶があるけど、いつどこでどうして二人で自転車になんて乗っていたのか思い出せない。夏だった。
わたしはその彼のことがとてもとても好きだった。
去年の末、地元の友人たちと深夜まで飲んで、三軒目のお店で「今まででいちばん好きだったひとは誰か」という話になり、わたしは彼の名前を言った。ほかの二人も同じように二十歳前後の頃に付き合っていたひとの名前を言った。彼女たちはどちらも結婚しているけれど、あの頃のいちばんが更新されないことをへーと、わたしは思った。(よく“女は上書き”と言うけれど、思うに女にはあっさり上書きされる場合と、こっそり別名で保存して生涯大切にされる場合と二パターンあると思う。上書きされるのはつまりその程度の相手だったということだ、と男性が女は〜理論を持ち出す度に思う。)
でも現在進行形でないからきっといちばんであり続けることができるのだろうということも、大人になったいまよくわかる。これもよく言われる“思い出は綺麗”みたいなこと。わたしはその彼に、あれはいつだったか、5〜6年前くらいに一度会った。わたしがSNSにめずらしくなにか長いことを書いて、それを見た彼が連絡してきて久しぶりに飲むか、と言って会った。とても久しぶりに何年かぶりの再会だったわけだけど、彼は見た目も話し方も雰囲気も全然変わっていなく、彼もわたしに変わんないね、と言った。でもわたしたちの間にある空気のような、そのなにかは確実に変わっていて、とても自然にいろいろな話をして楽しく酒を飲んだけれど、でもやっぱりあの頃とは圧倒的になにかが、というかもしかしたらすべてが、違っていて、わたしはなんというかその事実にわりと打ちのめされたような気持ちになったのだった。なにを期待していたわけでもなかったけれど、それは悲しいことだった。それぞれの場所でそれぞれの時間を生きるというのはつまりはそういうことなのだ。それでもあのころの記憶とか時間とか言葉とか香りとか、そういうぜんぶはなにも変わらずにそのまんま、ずっと、ある。あり続ける。
何日か前に観た『mid90s』の残像がずっと頭にあってそれをなんとなくなぞっている。A24の夏の新作をとても楽しみにしている。