2022.07.27 妄想と憂鬱と

一日PCに向き合ってあれこれしていれば、夕方になって無性にビールが飲みたくなり久しぶり女子たちのLINEグループに誘いのメッセージを投げてみればなんと彼女たち3人のうち2人がコロナに感染していた。いつまで経っても終わらない。憂鬱。日々酷くなる世界。憂鬱。

きのうも今日もずっと家にいたので着替えて散歩がてら買い物に出た。ビールと、キムチと枝豆、それからお豆腐だなと思い、もう閉まっているかもと思いながら試しに家のそばのキムチ屋さんに寄ってみたらまだ開いていて、お店のお父さんにいつも何時まで開いてるのか聞いてみたら一応5時だけどだいたい6時くらいまでは店にいるよ、と教えてくれそれから「でもこれだけ暑いと誰も来ないわ」といって苦笑いしていた。3つで千円のキムチの棚から3種類(白菜、大根、胡瓜)を選んで会計を済ませて外に出て、川沿いの道を少し歩いてスーパーへ行き野菜や果物や豆腐やビールやワインをぽいぽいかごに入れて、アイス、とも思ったけれど冷たいもののとり過ぎで痛い目をみたばかりだったので代わりにヨーグルト(パルテノ、いつもヨーグルトは自分で作った豆乳ヨーグルトを食べているけれどおやつにはパルテノをときどき買う、無糖のやつ)を追加でかごにいれてとても重たいエコバッグを肩に下げて帰ってきた。枝豆を茹でるのは久しぶり。豆のにおい。

わたしは枝豆が好きで枝豆があればずっと飲めるので居酒屋に行くといつもとりあえず枝豆を頼むのであるがそうすると同席している男性にはかなりの確率で「渋いね」とか「おやじかよ」といった類のことを言われる。そしてとてもつまらない気持ちになる。わたしはワインが好きだからワインに合うようなナッツとかドライフルーツとかチーズとか、そういうものも好きだけれど、赤提灯の下がっているようなこじんまりした昔ながらの居酒屋さんも大好きだし、そういう店に行けば当たり前にお漬物やいぶりがっこや焼き魚や食べるわけで、それについていちいちイメージと違うとか意外だとか言われるのは本当になんていうか、力の抜けてしまうような想いが飽きもせずいつもいつもするのだった。

ここ最近ゆるやかに新しい仕事を探すことをしており、一社だけここならもう一度正社員になっても働けるかもと思った会社があって、結果二次面接でダメだったのだけど、何となくそこで働くことをイメージしてもし決まったら引っ越すのもいいなぁなど先走った妄想も頭の片隅でむくむくと膨らませていたのでなんとなくそのまま引っ越しについての考えがふわふわと頭の中を漂っている。いまの部屋はとても好きだけれど。定期的に環境を変えたくなるのだな。だけどそれで結局秋からはほとんど在宅の仕事になりそうで、それは自分が望んでいたことのはずなのにいざ決まるとどことなく憂鬱でなんだか間違った選択をしているのではないかというような考えが頭をもたげたりもするので、変なの。でもだからまた新しい生活のリズムを作っていかなくてはいけない。そんなことはこれまで何度も何度も何度もやってきたはずなのに、なにがどうしてこんなに憂鬱で不安なのだろう。それにしても前述の会社の面接に落ちたことでいよいよやっぱりそういう生き方はあなたには用意されていませんよということを突きつけられたようでそれもまたなんとも言えない気持ち。ずっと、諦めが悪い。とか考えながらしいたけ占いの下半期を読んでみればまさにそういう自分の二面性について書かれており脱帽。

きのう久しぶりに大量のカレーを作った。かぼちゃとひよこ豆。冷凍庫に茹でたほうれん草を見つけてちょうどいいと思って喜び勇んで投入したら小松菜だった。今日はスーパーでゴーヤも買ってきた。夏。実家の庭にはゴーヤのカーテンがあり毎年食べきれないほどのゴーヤが採れる。わたしも自分で育てた野菜を日々食べられたらどんなにいいだろうかと、ぼんやりまた妄想をする。それをするための土地、スペース。久しぶりに世田谷に戻るのもいいかもしれない、あるいは杉並区、と思う一方でどこか遠くの土地にもうひとつの拠点があったらどんなにどんなにいいだろうという気持ちもやっぱりずっとあるのだった。

少しずつ音楽を作り、文章を書き、この数日はやっと本を読み、ようやく日常を取り戻した感覚。とても時間がかかったようにも思うけれどでもチェックリストのあれこれも4団体への抗議も選挙も首の爆発も無気力もすべてこの1ヶ月ほどの間の出来事だったのだと思えばまあこんなものかなという気もするね。長い長い7月が終わった。8月は自分のために生きたい。久しぶりのレコーディングもあるし。夏、なつ、ナツ。