2023.05.11 浮遊病

ずっと低迷したままの今週。きのうはまたどうしようもない気持ちになり、夜荷物を出しにコンビニ行きそのままぶらぶら気の済むまで川沿いを歌いながら歩き、コンクリートの土手にしばらくしゃがみ込んで向こう岸の灯りをぼーっ眺め思い浮かんだ言葉をiPhoneのメモ帳に書き留めて、帰ろうと思い立ち上がったときには足がすっかり痺れていてふらふらしながら信号を無視して通りを渡った。

この数日なにかがひどく苦しくて、なにがこんなに苦しいのだろうかと考えてみれば、それは言葉に出来ないことの苦しさであり、伝わらない伝えられないことの苦しさであり、そうしてそのことで自分や他人を責めてしまうことの苦しさであり、他と関わることに対してすぐに後悔しそうになってしまうことへの苦しさだった。胸が、呼吸が詰まるほどに苦しくて、とりあえず湯船に浸かって本を読もうとしたけれどすぐにきゅーっと眠気に襲われてしばらく目を閉じた。ひとと関わることがいつまでもどうしたってしんどいなあと思って、そうして苦しさをもう一度よくよく見つめてみればその奥にあるのは怖れだった。相手を傷つけてしまうのではないか、嫌な気持ちにさせてしまうのではないか、それはそういう類の怖れだった。とりあえず自分や他人を責めることも、後悔をすることも、それはそれとして一度その感情を抱くことを自分に許そうと、感じているそれ自体は決して悪いことでもいけないことでもないと言い聞かせて、少しだけ気が楽になった。

今日は昼間めずらしく少し外に出たくなって、なにか元気の出る美味しいものでも買いに行こうと思い隣の駅まで自転車を走らせた。わたしはわざわざ出掛けて行ったのにお店が閉まっていたということがよくあるので事前に定休日を確認してから家を出た。にも関わらず、何度か行ったことのあるそのパン屋は閉まっており、扉には臨時休業の貼り紙がされていた。仕方がないので別のまだ行ったことのないパン屋に向かってみたけれどなんとそこも休みで、ますます仕方がないので駅前のスーパーに寄って、目についた惣菜や和菓子や洋菓子をぽいぽいかごに放り込み会計をして自動ドアを出ればものの10分ほどの間に大粒の雨が降り出していた。わたしのすぐあとに店から出てきたグレイのショートヘアの女性と駐輪場で目があったので「降ってきちゃいましたね」と言うと話しかけられたことに少し驚いた様子でしかし笑って「(帰るか止むのを待つか)迷っちゃうわね」と言った。雨宿りしながら待つ気持ちにもならず、自転車に跨って走り始めると雨はみるみる強くなり、あっという間に全身びしょ濡れになった。こういうときはことごとく信号は赤と決まっていて、キャップに落ちるぼたぼたという音を聴きながらだんだんおかしくなってきて笑ってしまった。家に着くころには着ていたスウェットとデニムからポタポタと雫が滴っていて、脱衣所で服を脱ぎながら魔女の宅急便でキキが風邪をひいておそのさんに雨で濡れた体をちゃんと拭かなかったでしょ、と言われるあのシーンのことを思い出していた。

スーパーで買ってきたどうでも良いものたちを片っ端から平らげると目の前には大量のプラスチック容器が並んでおり、なににどうしてこんなにもプラスチックが必要なのだろうと唖然としそうになるのを振り払いゴミ箱にまとめて突っ込む。パンパンになった胃に手をやって吐き気に備えて身構えたけれど、それはやって来なかった。最近はようやく吐くこともなくなったなということにふと気がついた。高校2年のときからだから、15年以上かかったことになる。とても長い時間がかかった。吐かなくなるのにも、いろんなことに気がつくのにも。「わたしの身体がわたしのものでなかったころ」という言葉がそういえばきのうの夜浮かんだのをいま思い出した。わたしは、ちゃんと大丈夫になれているんだろうか。あてのない言葉を、あてのない気持ちでとにかくとりあえずあちこちにばらばらと書き残し、それをすることでなんとなくなにかを誤魔化したような気持ちになってだけどわたしは依然宙に浮いたままで、そうしてそんなでもどんなでも遅かれ早かれ夜はやって来ていつしか一日は終わっていくのだった。