2026.05.14
「日々は車窓を流れる景色のようだ。すいすいぐんぐん。さようなら、二度と逢うことはないでしょう」
何日か前のノートに書いた言葉。すいすいぐんぐん、流れているわ、あるいはさらさら
いろいろ、というほどでもないけれどでもまあそれなりにいろいろあり、わたしは少し混乱しているが、考えたとてしかたなし、いったんそのへんに置いて(少し前に友達と思考や出来事について話していたとき「クラウドに保存するねん、それで必要なときだけローカルに持ってくる」と言っていてなるほどと思った)宙に浮かべたまま放っておく、だってなんといったってわたしは今週末ライブなのだ、ほかのことはぜんぶ二の次
なんかいつもさ、うーちょっと厳しい気もするけどまあでもちょっと頑張ればたぶんいける大丈夫、みたいな、そういう勢いというか、自らに負荷をかけかけいろんな物事を決めてしまうきらいがある、それというのはしかし他者の期待に応えたい裏切りたくないというのが明確な動機なのであり、ということはつまり自分を後まわしにしているということなのだよなあ、そうしてあとになって自分に皺寄せがぐぐぐっとやってきてうううっとひとり苦しくなり後悔していっそ恨みがましい気持ちになるのだ。ばかばかしい。そういうことももうやめにしないとね、いい加減に。
セラピーを、受けたいという気持ちがずっとあったけれど、もう何年も前に気力や勇気やいろいろを振り絞って行ってみたがまったく合わずたったの2回で行くのをやめてしまったという経験があり、それ以来“自分に合うセラピストを探す”という難題に立ち向かう気力というかモチベーションがなかなかわかずずるずる来ていたのだけれど、最近そういうずっと先延ばしにしてきたことをそろそろひとつずつ片付けようという気持ちになっていて、だから息を吸って吐いて何度かの逡巡をへて、友達に紹介してもらった機関でようやく予約をとった。そうしてきのうが一回目のセラピーだった。なんというか、なんということはなかった。感じのいいひとだったし、なにより一度も違和を感じなかった、それというのはおそらく非常に大切な要素のように思う(前のときは言葉のひとつひとつや仕草のひとつひとつ、部屋に置いてあるもののひとつひとつが気になってしかたがなかった)。事前に話したいことを考えてノートにメモしておいたので、わたしもわりにすらすらとちゃんと話すことができたのでそれもよかった。安堵。最近は少しずつ、というか、以前に比べればかなり自分のことも話せるようになって、そういうとき心のなかで密かにおお、と思う。今度のライブでも話したいことがいくつか、いろいろあって、そのことを考えている。言葉にする、という試みについてもずっと考えている。あっという間だな、あと数日。音楽に音に歌に、ぐぐぐぐーっと入っていく潜っていくひたひたになる、そういう時間にしたい。