2026.09.16
どうして触れたいと思うのだろうか
触れたいと思うあいて、思うとき、不思議なことだ。そうしていざ触れてしまうと、触れる以外では再現しようのないたくさんのことが起こる。ほんとうに不思議なことだ。
9月はみるみるめきめき過ぎている。なにをするわけでもないが、でもこの間ふと目に見えて大丈夫になった瞬間があって、それは歳下の女の子のデート相手の愚痴を聞いているときだったのだけど、なぜかふっといろんなことが遠くなって軽くなった、たとえばギターや英語を毎日練習していたらある日ふとできるようになるのと同じように、ある日ふと大丈夫になるのだと、そのときにわかった。
また海に行った、日に焼けている。顔と手の甲と足の甲だけ黒い。肌荒れは回復の兆し、たぶん、頼む。細々とやらなくてはいけないこと、やりたいことがあるけれど、しかしなかなか腰が重く気力が湧かないのであるがあとで困るのは自分なので。しっかりしなくちゃ。でも結局なんとかはなってしまうことをわかっているからまあ、とも思っちゃうんだけど。
音楽をひとつ納品して、とても喜んでもらった。よかった。いろんなことは、やっぱりやってみればなんとかなる、できる、のだ。だからやっぱりやってみることなのだ。それしかない。
来月わたしはまるっと海の向こうで過ごす予定だけれども、それもきっとそういうことの連続だろう。生きる気力なんてものはいまのところぜんぜん湧かないのだけど、時間はまだまだ残念ながらたくさんありそうなのでなにに使おうかね、ほんとうにね、
みんな元気でいてほしいな、過ぎ去っていったひとたちもみんな、もう会うことがなくても。そういうことをなんとなく今日は思う