2023.12.30

あっという間にというか気づけばというか知らない間にというか、どうやら明日は大晦日なのらしく、へーという感じ。だからどうということも特になく。年内にどうしても部屋にカーテンレールを取り付けたくて今日は30分ほど車を走らせて買いに行ったのに間違った長さのものを買って来てしまってもう一度やり直した。そういうところがある。相変わらず。

買い物の帰りに海辺に行って3人で散歩をした。コートもマフラーもなにも要らないくらいに暖かく、小さいひとは靴もズボンも全部脱いで海に少し入って遊べるほどだった。冬晴れ、水面の輝き。だだっ広い駐車場で若者たちがスケボーをしていて(みんなTシャツやタンクトップなど、一人は途中から上裸、12月末、こんなに暖かくて本当にどうなってしまうのだろう)小さいひとが興味を示したのでみんなでしばらく見学した。大学生だろうか。フェンス越しにじーっと見いる小さいひとにときどき手を振ってくれたりして、みんな感じが良かった。

夕方からは外で火を焚いて、そこで夕食を作った。その辺から調達してきた木の枝で火を起こして、火力が強いからあっという間に次々出来上がって、お湯も沸かせるし、明るいし暖も取れる。ガスも電気も要らない。これで十分過ぎるほどに十分じゃないか、みんなこんなふうにして暮らせば大概のことは解決するんじゃないか、という気持ちになった。姉が自分で育てたさつまいもで作った干し芋を炙ったら信じられないほど美味しくて、みんなでいくつもぱくぱく食べた。年末にかこつけて、自分を甘やかして食べたいものを食べたいだけ食べているこの数日。

パレスチナのことがあって、最近はまたニュースやSNSを気にして、ときどき自分でも書いたり載せたりしていたけれどここ数日でまたしんどくなってしまって、きのう今日は休み休み。代わりに、というわけでもないけれど荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』を読み返していた。いま必要としていた言葉が並んでいて染み込んできて少し泣きそうになった。いつも大事なことほど言葉にならなくて、だから像を結ばず曖昧で掴みどころがなくて、いつまでもぼんやりと、わかりそうでわからなくてもどかしい。でもそれでいい、というかそうでしかあり得ないのではないか、といま思う。でも、それでも言葉を、やっぱり探すし探し続ける、それはやっぱりそうなのだけれど。

今年のことを、あんまり振り返るような気分でもないなぁ、今年なにをしていたかといえばひたすらに制作、それ以外のことはちっとも思い出されない。引越し、くらい。旅らしい旅もしなかった。あぁ金沢にちらっと行ったな。とにかく制作に始まり制作に終わった一年だった。それさえ達成すればそれでいい。来年はいま作り途中の作品を出して、そしてまた新しい曲を作りたい。あとはたくさん旅をしてその先々で歌を歌いたい。それからバンドでライブをしたい。あとはこちらの土地でももう少し行動範囲を広げていろんなことを見聞きしたり、ひとと出逢えたらいい。2023年が終わるのだな。平和を、平和を、願っている、強く。強く。