2026.09.22
いろんな、というほどでもないが、ひとに会う。姿形も違えば趣味嗜好も思考も色も声も言葉もちがって、それはまったくあたりまえのことだけれどやはり興味深く、わたしはしげしげとそれを眺める。すこし遠くの高いところから。いろんなことはあっという間に日々に時間に逡巡に埋もれてしまうのでときどきこうして思い出すことはとても重要だ
そうして目の覚めるような秋晴れ。本当は布団を干したかったけれど今日は一日仕事なので泣く泣く諦め家を出る。しかし洗濯はしたのでそれでよしとする。そうして来週の水曜日にはわたしは旅立つことになっているのでいろいろの準備をしなくてはいけないわけだけれど、準備といったとてなにが必要なのかわからない。考えてみれば一ヶ月という長さで旅に出るのは初めてのことではないか。いやそうでもないか、学生のときカナダをふらふらしたのはでもやっぱり2週間くらいだったような気もする。なにが必要なのかさっぱりわからない。パスポート、ユーロで支払えるカード。旅の間はショルダーバックのようなものがあると便利なのだろうけれどわたしはショルダーバックと名前のつくそれらの見た目がどうしても好きになれず、ネットであれこれ見てみているがぜんぜん気にいるものがなくほとんど絶望している。でもなにかしらないとなぁ。スられたら嫌だし。旅のときは日頃使っているものや着ているものが有効でないことが多く、それというのはひじょうに興味深いと思う、つまり都市の暮らしにおいては機能性や楽さよりも見た目を優先している、とまではいかなくともそちらにかかる比重が大きいということなんだろう、それでも事足りる、足りてしまう、というか。そしてそれはではなんのうえに成り立っているのかと考えてみれば、ほとんど毎日家に帰るという営みがあり、家に帰れば必要なものたちはひととおり揃ってるいて、食事をつくったり洗濯をしたりお風呂に入ったり、そういうことができる、その整備や環境ということになるのだろう。そしてその「あたりまえの日常」から離れてみるということに旅をする理由のすべてではないが大きななにかがあるのかもしれないね。フィルムのカメラを修理に出して持って行こうと思っていたけどなんだか億劫で、フィルムも現像もばかみたいに高いしおもちゃみたいなデジカメを買ってみた。まだ届いてないからどんなものかわからないけどまあなんでもやってみたらよろしい。デジカメなんて学生のとき以来だな、キャンパスのあったあの片田舎の街を散歩しながら何枚も何枚も写真を撮った、あのとき目に写ったすべてのもののあの新鮮なきらめきとときめきをはっきりと覚えている
根拠不明の噂がネット上に吹き荒れていて心がざわざわして、ニュースを読めばバックラッシュと分断の嵐で心はそうしてしなしなとしぼんでいく。まったくね、どうなることやら。なにに向かって生きたらいいのかわたしは引き続きよくわからないがまあとりあえず生きて、ほんとの本当にげんなりしたらまた考える