2022.03.25 もくれん

風が強い。大小の竜巻が3度きたかと思えば全く違うところからもうひとつやって来て、それらと関係あるのかないのか久しぶりに一週間ほどまともに眠れず、だけど眠れないとただただ体調が悪く意識も朦朧とし始め竜巻のことなんて気にしている余裕もなくなるので、あるいは不眠というのは一種の防衛反応なのではないかと思ったりした。

そうしてきのうは、先日わたしが緊急の助けを求めた友人と自由が丘のちょっといいヴィーガンのレストランで昼食を食べ、たっぷりデザートまで頼みはちきれんばかりになり(わたしは眠気でふわふわした体でだけど意識はちゃんとしており食べるに連れて体の体温が上がっていき頬が高揚していくのがわかった)最近は地元の友人達何人かで会うことが多かったからそういえばふたりでこうして向き合ってゆっくり話すのはとても久しぶりだなということを思った。わたしはいまたぶん少しセンシティブになっているから、不用意に嫌な想いをしたりさせたりしてしまうのではないかとほんの少しの危惧があったのだけど、そんな心配はまったく無用だった。中学の卒業アルバムに担任の先生が「あなたの良さをわかってくれる友達に恵まれましたね」と書いてくれたそのことをずっと覚えていて、当時はあまりピンと来なかったその言葉が今はすごくよくわかるよ、と話した。こだわりがないと別の親友のひとりに言われたことを気にしていると何度も言って笑っていて、そのことを思い出してわたしは今日もちょっとまだおかしくて彼女のことを可愛いと思う。

食事もデザートもコーヒーもとても美味しく、わたしはなんとなく少し歩きたい気持ちで、駅の改札で彼女を見送ったあとに駅の周りをぶらぶらと宛てもなく歩いた。暖かかったからか冷たいものが欲しくなり、目についたケーキ屋さんでソフトクリームをテイクアウトする。とても濃厚で量もたっぷりあり、途中で満足したけれどどうしようもなく、溶ける前に食べ終えた。桜を見て帰ろうと思い緑道まで出た。まだ思ったほど花は開いておらず、四分咲きといったところだった。桜の間に大きなもくれんが植えられており、わたしはこの季節に何度も同じ場所で桜を見ているからもくれんも確かに目にしてきたはずなのにそのことに初めて気づいたような気がして、あれどうだっけ、と思ったけれどやっぱり思い出せなかった。

もくれんと言えば、小学校一年生のとき、校庭にあるその木と花を授業で写生した記憶があり、だからその木と花の名前を今でもよく覚えている。黄色いバインダーに挟んだA4の画用紙に鉛筆で、わたしはとてもよく描けたと思ったけれど、川口先生というおかっぱ頭の女の先生には線が細過ぎると言われた。わたしはどうしてだか、子供の頃、太いものより細いものが美しい、正しい、というように思い込んでいて、同じように、遅いより早い、低いより高い、がより良いと信じていた(だから音域の広いわたしが、低域の出る子どもが少ないという理由で合唱の際にアルトに振り分けられたときはとてもショックだった)。そういうことを思い出しそれはどうしてだったのだろうと考えながら緑道を歩いた。ベンチは交互にロープが張られ、座れないようになっていた。

帰り道、乗り換えの駅でお花屋さんに寄って、紫と緑の鶏頭が可愛かったからそれらと合わせてなずなともう一本草っぽいものを買って、野草風のブーケにして部屋に生けた。本当は白があったらいいなと思ったのだけどちょうどいいのがなくて、生けたらやっぱり同じように思ったから、明日にでもまたどこかで白い花を買ってこよう。

そうして昨日はやっと少し眠れて、今日は心身もだいぶすっきりしていたので、頼んですぐに届いたまま開けもせずに放置していたプリンターを設置し、少し仕事をして、それから来月島に行くチケットを取り、レンタカーその他も一気に手配。大丈夫そう、きっと今夜からは眠れるような気がする。

気づけば三月も終わりで、わたしはそろそろ生きなくちゃとまた思うけれど。今日はキャロブのマフィン。コーヒーがとてもおいしい。