2026.08.22

過ぎ去ると忘れるは似ているけれどけっこう違うよなあしかしわたしたちは多くの場合、忘れるという言葉を過ぎ去るの意味で使っているのではないか、というようなことを朝から考える。そうして朝仕事を終えて家に帰るときにこういう思考が湧いてくることが多いことにはじめて気がつく。外に出る、ということが作用しているのかもしれない。朝の散歩がほんとうは習慣になったらいいのだろうけどマンションに住んでいるかぎりは難しいような気がする、なぜなら敷地の外に出るまでが長いから、些細なことだけれどこういう小さなことが日々を左右するのだ驚くほどに。

日々、少しずつ確実に大丈夫になってきているという実感がある。学びの多い関係性、良いレッスンであった。素直にそう思う。いろんなことにどんどん腰が重くなってしまってそうするうちにどんどん怖くなってしまって、だけどそんなのは自分が勝手に作り上げた虚構なのであって、それをひとつずつ壊して少しずつ大丈夫だということをちゃんとわかっていく、そういう訓練の日々。今日はたぶん遅くなるので迷ったけれど、明日はまた朝早くから海に行ってみることにした。必死で起きる。というか飲み過ぎないように気をつける。そしていつかいつかと夢に見ていた飛行機のチケットをわたしはついに取った、きのう、なにも決まっていないのでとりあえず片道。ユーロがあまりに高いので恐れ慄いているけれどまあなんとかなるだろう。なんとでもなる。大切なのは決めること。えいっと、飛び込むこと。そのくり返し、ずーっと。少しずつ自分を拡張して、でも要らないところは削って、そうして形をかえてかえてかえて、わたしはずーと水みたいにありたい